理想と現実の深い溝
朝日新聞朝刊の連載小説、川上弘美さんだから久々に読んでいるってーの前に書いたが、
小学校4年生の「さよ」の母さん、
「定時制って、いいところよ。わたしは大好きだったわ」
「ほんの少しの間だったけれど、わたしも定時制の高校に通ったことがあるのよ。ほんとうに好きだったの、あの高校が」
「昼間の学校が性に合わなかったの」と言う。
「みんなおんなじでなけりゃだめみたいだったの、わたしの行っていた昼間の高校は」と。
高校教師なんてことやってるけれど、オレも心底そー思う。
で、そんなオレの現任校、「みんなおんなじでなけりゃだめみたい」なガッコではない。
だから、その意味において、結構理想的なのだけれど、
「容れ物」は理想的でも、中味が理想的とは言い難い。
この国の人々(に限らず、人間という生き物、総じてそうなのかも知れないが)、
結局は「みんなおんなじ」が好きなんだろーな。
「みんなおんなじでなけりゃだめ」な中、テキトーに折り合い付けながら生きてきたオレみたいなヤツ、男であれ女であれ、結構いると思うのだが、
そーゆーまともな感性を持ち合わせている若い連中の集まるガッコ、
どこかにないもんですかにゃあ?