地震雷火事親父
など申しますが、
地震にしても、台風にしても、
我と我が身に降りかかった災難でなければ、
実のところ、「あんましカンケーねーし」ってのが人間というものである。
ニュース見て、「悲惨やな」とか「えげつなぁ」などとは思う。「備えは大切じゃね」とも思う。
でも、被害にあった場所が、南米であったり、東南アジアであったりすると、
文字通りそれは対岸の火事。「へー」でおしまい。
自分が良けりゃ、それでいーのよな結局。オレだってそーです、突き詰めれば。
だけんども、
こと、一国家の政治や政策についても、
「オレがワタシが、得するように動いてくれるとこがいーんだもんねー!」などいう発想から、多くの人が1票を投じているというのは、それとは話が異なるのであって、
そーゆー選択しているから、畢竟、弱者は切り捨てられる。
現世利益という信仰が、公然と政治と結びついていたりもしているわけで、
市民感情などいう魑魅魍魎は「自己責任」の名の下に、弱者という名の「お荷物」は切り捨てても自分だけは得したいと思ってるわけ。
かといって、
利己主義廃して利他的に物事考えたとしても、選択したいドコかや誰かが、どこにもいないってのが致命的。
ところで、
「地震雷火事親父」の「親父」って、「大山風」=「台風」のことだって知ってましたぁ?
今日の豆知識でした。