Swimming Radio

川に挟まれた街に生まれ育った。北には異臭を放つ爛れた川。


子供が、毎年といっていいほどそこで溺れ死んだ。誇張でも大袈裟でもなく。
好きこのんでそんな川で泳ぐヤツなど誰もいないにもかかわらず。


川の傍にはでかいガスタンクがそびえ立ち、それを見上げる場所に荒涼としたグラウンドがあった。
醤油を煮詰めたようでいて、香ばしいところの全くない、化学物質のような刺激臭の漂う、ただの空き地。そこで子供らは野球に興じた。


外野手が捕り逃した球は、転がった末に川に落ちる。


川中には上流・周辺の工場から流れ出た廃液が渦巻き、川岸には汚泥が滞り、川面にはうっすらと黄砂のようなものが浮かんでいて、流れの澱んだ所では陸と川の境界が判然としない。


球を拾いに行った者は、その罠にしばしば落ちることになる。
陸から手の届くはずの川面に浮いている球を見つけ、進み出た時、そこに地面はない。
いきなり足場を失った子供は焦る。焦りながら、透明度のほとんどない川に沈んでいく。


注意を重ねていたはずのオレも、何度かその罠に落ちた。
オレは運が良かったのだろう。溺れ死んだひとりにならずにすんだのだから。


街の、下町の子であるのに、オレの親は子が川で溺れ死ぬことを恐れた。
そして、余裕もないのに、オレはスイミング・スクールなるものに行かされた。


オレはいわゆるトロい子供ではなかった。器用ですばしっこく、体格は並でも、運動能力はかなり高かったように思う。新しいことの覚えも早かった。
が、特に興味のないものに自ら熱中する質でもない。泳ぐ速さを競う気さらさらなく、スクールでは楽しくプール遊びに興じていた。


ある時、オレは指導者の逆鱗に触れた。「やる気がないなら来るな!」と。


オレは、スイミング・スクールの指導者が、競技者として芽の出そうな者を発掘することを己の職業的使命としていることなど想像だにしていなかった。
そして、ここは水泳選手として名を上げようと日々研鑽している子供らが通うところなのだとその時初めて気がついた。


川に落ちた時に溺死せぬため、自らの意志とは関係のないところで、取りあえず泳ぎを覚えるために通わされ、水遊びを楽しんでいるだけのオレの知ったことではなかったから。


後日、スクールの生徒らの競技能力を測る日があった。特にその日を待ち望んでいたという記憶がないから、オレにとってはどうでもよかったのだと思う。それでも、並んでスタートすれば本気にはなる。ゴールしてプールから上がったオレに、先の指導者が嬉しそうな顔で言った。


「やったらできるやないか!」


水泳選手になろうという気のひとかけらもないオレは、彼の笑顔がこの上なく間抜けに見えた。



夏休み中、たまには体も使わないとね。と、職場のプールで泳いだ。


クロールよりも、平泳ぎの方が速く、30分泳いだら息が上がった自分に苦笑しながら、昔のことを思い出した。