魔女狩り
オレと同じ管区に勤務する高等学校教員が、「万引き」で懲戒免職処分となった。
パンやマーガリン、約2千円分。「月々の小遣いが苦しく、自由に使えるお金が限られていたから」と話したという。
新聞によっては、実名で報道されていたらしい。
この人、どこをどう見ても「壊れて」いる。「病んで」いる。
オレの直接知る人ではなかったが、同僚にこの人のこと知る人がいて、かつて、この人が壊れていなかった頃の話を聞いた。
昨年も、別の高校の女性教諭がやはり「万引き」で懲戒免職処分となっている。
この人も、「壊れて」いた、「病んで」いた。と聞く。
そして、この時も、とあるメディアは実名で報道した。
この女性教諭の子は、通学していた学校に通えなくなったと聞く。
今回の男性教諭にも家族があり、子があるという。
無論、「万引き」は金額の大小を問わず、犯罪である。罪は償わなければならない。
が、心を病んだ者が犯した罪への罰が大きすぎはしないか?
彼らは数千円のために、2千万以上の退職金を失うばかりでなく、世間の晒し者にされ、家族も重い十字架を背負わされることになった。
病んだ者にも、その家族にも、今のこの世間は容赦ない。
そして、そんな社会の趨勢に従う、教育委員会という組織もまた容赦ない。
諭旨免職、依願退職という選択肢を用意してやることをしない。
この社会は、「病んだ者」と「その家族」に「死ね」という。「くたばれ」という。
実のところ、教育の現場は、誰が、いつ壊れてもおかしくないような場所になっている。
オレにしたところで、我ながらよく壊れないものだと思うことしばしば。
病み、壊れた教員が多いから教育が荒廃しているのではない。
教育の現場が荒廃しているから、病み、壊れる教員が増えている。
管理監督の強化強制、無意味でくだらない数値目標の設定、そこで働く者の心と体の自由を奪い、縛り付ける縄の結び目は日々きつく、固くなっている。
メディアは、万引き教員の実名報道に熱心でも、教育の現場で起こっている本当の姿を決して伝えない。