いい事ばかりはありゃしない
知り合いから借りた、後部座席フロアの隙間から地面が見えるポンコツSUZUKIの軽に定員オーバーの5人、カーステで"雨上がりの夜空に"鳴らしながら、夜な夜な松島まで走った。辿り着いたらエンジンかからず、電車で帰った。
"スローバラード"聴きながら、恋に恋する20代だった。
柄にもなく、テクニックもないのに、ジャズにかまけていた時にも、RCだけは聴き続けていた。
なんだかんだで今の職に就いたが、どーせなら、"ぼくの好きな先生"みたいなヤツになってやろうと思った。
カミさんと知り合って、RC来るたび見に行った。キヨシローはいつも眩しかった。
一緒になったら、RCのレコードが全部2枚ずつになった。
レザー・シャープも、ハッピー・ヘッヅも、タイマーズも、にーさんずも、
ぜんぶ見に行った。
長いこと触ってなかった楽器再び手にして、若いのかき集めてバンド始めた。
清志郎がいなけりゃ、バンドやってなかった。
RCこそがバンドだった。
いつまでたっても、清志郎みたいには歌えないけど、
いい歳こいて、オレがバンドやってんのは、あなたがいたからだ。
最後に生で聴いたあなたの声は、大阪城野外音楽堂ナイス・ミドルのライブだったかな。
ジジイになっても、90過ぎても、張りのあるあの声で、ブルース歌ってるもんだと思ってた。
だから、
すっげぇ、
悲しい。
親がおっ死んだ時よりも、
悲しい。
清志郎は、オレにとって、生きててもらわなあかんヒトやった。
なんだかなぁ……。
今、部屋に流れてる、"ヒッピーに捧ぐ"が、 痛い。