校区にひとつ駄菓子屋開くといーんじゃないかな?

生徒さんが受験する大学の、小論文過去問の添削など致していて、


核家族化」が進行していく中、「クレヨンしんちゃん」とこは、典型的な核家族ですけれど、
サザエさん的」或いは「ちびまる子ちゃん的」三世代家族への憧憬が止まないのはなぜなのか?


親と子という最小単位で、自由な暮らしを求めようとするのが現代的な生き方なのだという思いや、
都会での生活は、狭小住宅に住まうことを余儀なくするという物理的空間的必然性から、
核家族化」は進行しているのでしょうけれど、


実はそれは、現代に限ったことでもなく、江戸時代の庶民にしたところで、
親の世代は現在より早くに亡くなるし、コドモの数が多かった分、親と暮らせるコドモはひとりに限られるわけで、
核家族」世帯、実際は結構多かったんですよ。


でも、じいちゃんばぁちゃんと暮らしていれば、彼彼女らの「経験」に基づくスキルを学べたり、彼らの「労働力」が助けになるから、
子育てという点においては、まだ歳若い両親にとっては大きな力になったのですけれど。


という文章を読ませて、


でも、現代は「核家族化」の中、夫婦共働き、労働時間の長大化、などようの事情によって、
思うように子育てができない。子と関われない。子が成長して手を離れる頃には老親の介護が待っている。


いったい、どーすりゃいいの? どー思う? あなたの思うところを書いてみよ。という設問がありまして、


当該の生徒さんは、


定年退職後の、生活と時間にゆとりが生じた、じいちゃんばあちゃんたちを引っ張り出して、
公民館などようのものを貸し出して、無償、或いは低料金で、託児所的なものができるような環境作りを進めることができればいいと思います。


と、書いていたのですけれど、


問題は、それを現実のものにするには、
「隣が何をしているのか知らない、何の交流もない」という地域コミュニティのあり方を根本的に変えなきゃならない。
そしてまた、昨今のじいちゃんばあちゃん、たとえコドモが好きであっても、お金にならないことを、自ら進んでする人がどれほどいるのか?
でもって、管理義務のようなものが伴って来ると、事故等々のことどもの、責任いったい誰が取るのか?


などようの問題が生じるので、現実には極めて難しい。


いい歳こいた、結構アタマのよろしい人たちが考えたって簡単に答えが出ないでいることを、
よくもまぁ、17や18の若者に答えさせるもんだ。と、思うのですが、


「超核家族」な我が方、


最近はそれほど頻繁でもなくなってきましたが、
一時は、小中学生女子の「託児所」のようになっておりました。
行き場のない、そのままでは殺処分されてしまうニャンコやワンコのお世話も致している。
それにまつわる啓蒙活動にも勤しんでいる。
日々、じじいになっていく相方のお世話も、致してくれながら、
我が方の老親を看取った後、自身の老親の介護にも突入している。
病気療養致している友人のお見舞いにも出掛けている。


んなことやりながら、我が方と共に、音楽活動も致している。
そんな我が相方、日々、東奔西走してござる。


先日、メディアの流す情報で、
地域の「駄菓子屋」を営んでいるばぁさんが、自身の店に訪れるコドモたちを、日々、温かい目で見守っているという話を目にしましたのですが、


我が方の相方、ワンコやニャンコがゴロゴロしている「駄菓子屋」とかやればいーんじゃないかな?


と、小論文の添削しながら、ちょっと思った。


でも、ウチの相方、原材料とか添加物とか気にするから、「駄菓子屋」は無理だな……。


わはは。