厄を除ける憂さを払う

朝、イスラム国に人質とされた邦人、残された(とされる)一名の殺害の報。


隣人でもなければ、知人でもない。


けれど、悲しみは大きい。怒りよりも悲しみの方が大きい。「対岸の火事」とは思えない。


この国が、狂気的な、それでいて、強大な力を有する組織集団から、名指しで「敵」と呼ばわれるようになってしまったことの悲しみも大きい。


狂っているのは相手だけなのか? 米英は、狂っていないのか? この国は狂っていないのか?


早晩、地球上の「富」のおよそ半分を、地球上に生息する人間のほんの1%の者どもが欲しいままにするようになる。或いは、もうすでにそうなっているという。


貧困や格差を、縮めようとするのでなく、己の元に「富」が集中することだけを思い、政治は、世界は、動いていく。


強大な狂気に対抗するために、我が国も、強大な暴力が必要なのだ。という論調が高まり、戦争ができる国にならぬことを、


切に祈る。


暴力に暴力を以て対抗することで、すべての者が幸福になったという例は、過去歴史のどこを探してもないのだから。


そんな今日、


"ミライノス"サンボさん&しぃちゃんのお招きで、「あびこ観音厄除けツアー〜新年会」


近隣に在していながら、初詣では元より、墓参りの習慣すらない我と我が相方、厄をとうに過ぎた今、初めて「厄除け行事」なるものをかいま見る。



道路の両脇に立ち並ぶ露天。



厄落としに行列する人々。



焚かれる護摩の火。


己の身から「厄」が除けることを願う人々、人々、人々……。除けた「厄」は、一体どこへ行くのだろう……。


あかんオトナが集まって、昼日中からビールやワンカップ片手にぶらぶら。


そして、浮き世の憂さを払いつつ、宴会。払った憂さはどこにも行かない。ただ消え去るのみ。


サンボさん、しぃちゃん、誘って頂いてありがとう。ごちそうさまでした。