人間は考える葦である

担当クラスの「学級日誌」というものに、


「最近読んだ本、聴いてる音楽、観た映画・演劇などなど」


というコーナーを拵えているのですが、


昨今の高校生という人々は、面倒なのか忙しいのか何なのか、まともに文章を書かない連中が多いのですが、


「"KANA-BOON"にはまっています」という記述記載がございまして、
彼ら、堺発全国行きですね。ちゅか、「FUZZ」発全国行きというべきか。
かつて「FUZZ」のブッカーだった倉坂くん、押してましたね、そー言えば、
「FUZZ」とは、近くて疎遠になってしまいましたし、"KANA-BOON"も聴いたことないのですけんども、


一度、聴いてみっか、と、思った次第。
五十路男の耳に適うかどうかはわかりませんですが(笑)


でもって、


内田樹のブログ、読みたくなって遡る。


内田樹の研究室」
http://blog.tatsuru.com/


2012年03月10日の日記
こういうまともな思考をする人がいることに救われるのだけれど、
2年前にして、こういうことをすでに書かねばならぬような状況があったこともまた事実なのであって、
2年の時を経て、何かが好転したかというと、どんどん深みにはまっているわけで、


2013年09月19日の日記ともども、
こういうまともな意見が通らない、聞く耳を持たない世の中というのは、
言語という手段を用いて思考すること表現することを教え伝える身としては、


内田樹の文章が国語教科書に載らなくなる日もそう遠くないように思われて、


心が深く痛むのでありました。