ブンガク・イズ・デッド
えー、
アタクシ、十代の頃、
いわゆるひとつの「文学青年」というヤツでした。
高校に上がった頃から、「国語便覧」なるものに載っている明治以降の作家の主要作品、
手当たり次第に濫読致しました。
授業中も読んでいました。だから、高校を卒業するまで劣等生の誹りを免れませんでした(爆)
そんな輩は当時にしてもそう多くはありませんでしたが、
漱石はもとより、鏡花や、荷風や、利一の、或いは、最新の芥川賞受賞作について、
その読後感を言い合える仲間がいないわけではありませんでした。
村上龍が『限りなく透明に近いブルー』でデビューしたり、画家の池田満寿夫が『エーゲ海に捧ぐ』を書いた頃でした。
個人的に、とりわけ、その世界に耽溺致したのは、谷崎と、吉行と、筒井あたりだったと思います。
吉行の文章は、今でも、日本語で書かれたものとして最大級の美しさを湛えていると思います。
国語教師として、文学なるものをティーンズと一緒に読むようになってからも、
そういう輩は、それほど多いわけではなかったとはいえ、
それでも、芥川や中島敦を、教科書で読んだ作品を手がかりに、面白がる連中は、そこそこおりましたし、
梶井について、「その容貌がゴリポンのようでなかったら、太宰よりも人気があったかも知れません」と授業の中で評したオレに対して、
「私の基次郎をどうして愚弄するのですか。謝罪しなさい、してください」と、鬼の形相で詰め寄って来た女生徒がいたこともありました。
が、もう、ここ数年、
いわゆるひとつの「文学書」なるものを手にしているティーンズを見かけることが、
ほとんど、というか、まったくなくなりました。
ノーベル文学賞を毎年云々される、村上春樹の小説を手にしているティーンズも、
ほとんど見かけたことがありません。
お笑い芸人である又吉直樹が芥川賞を受賞した際も、興味本位で『火花』を手にした者はいたようですが、
面白がっていた者を、誰ひとりとして知りません。
にもかかわりませず、
友人たちとUSJやらTDLに出掛けることを無上の幸福としている節のある、目の前にいるティーンズたち、
そこそこ偏差値の高い、有名国公私立大学に進学致したりしております。
ロックが死に絶えるその前に、ブンガクが死に瀕しているように思われます。
うくく。