ひとりのすゝめ

生徒たちが教師の話をするように、
教師たちも、互いに生徒の話をする。


生徒たちは、教師にそれほど興味がないであろうから、
寧ろ、教師たちの方が、生徒の話をしているかも知れない。


とある生徒のことに話題が及んで、とある教師が、
「いやぁ、Sくんは良くデキるし、もののわかったコだけど、ちょっと心配になることあるわ」と言う。


その生徒のことを直接知らないボクですが、聞いていると、
「たまに笑顔のこともあるけれど、表情が暗い」のだそうな。


そこで、はたと思い当たった。過去に引き戻された。


高校時代のボク、破顔一笑、満面の笑みなんてこと、ほとんどなかったように思う。
数少ない高校時代の写真、笑顔の写真など一枚もないような気がする。


日々、小説を読み、音楽を聴き、テレビで放送される古い映画を眺めていた。
学校で、話す相手がいないわけではなかったけれど、バンドなどやらかしたりもしていたけれど、
腹を割って語り合うヤツは、ほとんどいなかった。
登校も下校も、たまたま一緒になる者がいなければ、ひとりだったし、
兄弟姉妹いないから、家に帰ってもひとりだった。
長期の休暇になると、部活をやってた時はともかく、部活を止めてからは、誰とも顔を合わせなかった。
同世代の誰とも話をしない日が、何十日もあった。


中学高校と、学校にいる時間を除いて、ボクはずーっと「ひとり」だった。


それでも、


男子校だったから、可愛いあの娘に巡り会えないことを残念には思ったけれど、
寂しいと思ったことはなかった。「孤独」をつらいと思ったことはなかった。
というより、特に自分が「孤独」だと意識したことがなかった。


「ひとり」の時間に、「ひとり」で、いろんなことをした。考えた。


今の、ティーンズ、見ていると、
「ひとり」になること、「友だち」がいないこと、必要以上に恐れているように見える。


スマホを手にして、SNSなど覗いているから、四六時中誰かと繋がっている。やり取りしている。


一日のうち、誰もいないところで、「ひとり」で過ごす時間がほとんどない。
「ひとり」での時間の過ごし方を知らない。「ひとり」静かに、何かを思うことがない。


本を読まない。片手間でなく、集中して音楽を聴くことをしない。
「ひとり」静かに映画を観ることがない。画集を繰ってみることもない。


「ひとり」を、必要以上に恐れるから、同調圧力に対する抵抗力が育たない。
くだらないものにも同意する。逆らわない。


きっと、そういうことなんだろうなと思う。


人の多くの部分を作るのは、「ひとり」の時間。
「ひとり」の時間を恐れているところに、「自分」はない。


Sくんの表情の暗さが、「ひとり」の時間を生きていることに由来しているのなら、
それはそれでオーケーなんじゃないかな?