くだらない大人のハナシ

未だに、


「学校は社会に出るための訓練の場である。正しい大人になるための学びの場である」
などようのこと、真顔で語る教師というの、後を絶たないのですが、


そういうこと語る人のコトバは、ほぼ中身がなかったりするので、傾聴するに値しないと思っております。


ガキの頃から、大人面している年長者に対しても、
「あー、この人はくだらない人だね。やれやれ……」と思う質のニンゲンでしたから、


その手のオトナは、こちらがそんなことを思っているということを、
馬鹿は馬鹿なりに「察する力」というものを有しているものですから、


ボクは、いろいろと、そういう人たちに嫌われながら生きるということを余儀なくされながら、今に至っております。


ボクが最初に、「あー、この人はダメだな」と思ったのは、小学校5&6年次の担任教師でした。


人権感覚というもの、自由ということ、平等ということ、ホントのトコロをわかっていないのに、
在任校に多くいる「在日」の人たちを応援していれば、それだけで、「立派な教員」だと思って貰えると考えている節のある人でした。


更年期に差し掛かってあっぷあっぷしている、気に入らないことがあると、それを誰かに押し付けて、
ヒステリックに喚いたり、時には手を挙げたりもする中年女性教師でした。


体育の時間、運動会のクラス代表を決定する徒競走。
ボクは、「在日」のKくんと、代表決定の最終レースに臨みました。


インコースを奪って走るボクを、Kは、外側から、肘で突き飛ばそう、足を引っ掛けて転ばそうという暴挙に及びました。


結果、ボクは僅差でKに敗れました。


ボクは、フェアに闘うことをしなかったKの行状を、担任に報告しました。


誰の目にも、その時のKの不正は明らかであったにもかかわらず、
ヒステリー女性担任は、「負け惜しみを言うな!」と、ボクを断罪する側に回りました。


周囲の生徒たちも、ボクの主張に対して、担任教師の剣幕を前に、誰も何も言いませんでした。
ボクが、「ぐじぐじと負け惜しみを言い募る情けないヤツ」というレッテルを貼られることで、幕が引かれました。


ボクは、「あー、この馬鹿女には、何を言ってもムダなのだ」ということを、その時、思い知りました。


当時は、勉強も、スポーツも、抜きん出てよくできたボクでしたが、
この担任教師は、ボクに対しては、あくまでも、「オールA」の成績をつけることをしませんでした。


自分の本質を見抜いているボクのことを毛嫌いしながら、
Kの素晴らしさを言い募り、応援する姿勢を、最後まで崩しませんでした。


ひょっとすると、そんな己の教師人生の報いを受けて、不幸な晩年を過ごしたかもしれませんが、


彼女は、「古き良き時代」を小学校教師として生き、今とは比較にならない恵まれた福利厚生の恩恵を受け、潤沢な退職金を手にして、
悠々自適な老後を送っているのだろうと思います。もうそろそろお迎えが来ている歳かも知れませんけれど……。


Kは、その後、公立の進学校を経て、公立の医大に進学したと風の便りに聞きました。
Kという男、小さなダンボール箱に詰め込まれ、公園の片隅に捨てられていた子猫たちを、衆人環視の前、ブロックの塊で惨殺した男です。


今、どこかで、誰のため、何のためを思ってか知らないけれど、医師という仕事をしているのでしょう。


ボクは、中高一貫の進学男子校に進んで、そこでも、「くだらないオトナ」に劣等生の烙印を押されながら、
それでも、余力があったので、それなりの大学に進んで、


あろうことか、教師という職に就きました。
自分のアタマでモノを考えることを、ティーンズに伝える仕事をしています。


少なくとも、


自身が、ガキの頃から見抜いていた、


くだらないオトナには、なっていないつもり。


なんだけど、


ティーンズの多くは、ガキの頃にボクが持っていた審美眼、備えていないので、
そんなことわかってないし、わかる気もなさそうだし、


そのことに、くたびれて来ているのですけれど、


唐突に、


この春、卒業してった、担任していたクラスの女子二人が、近況の報告にやって来てくれたりしたので、
あー、このコたちには、ちょっとは伝わっていたのかな……。


と、思ったので、思えたので、


もうちょっと、頑張りますか。


と、背中を押された、


今日でした。


うくく。