がっかりさせないで

がっかり、とか、うんざりということ、
生きていれば、何度か遭遇するのですけれど、


本日、その、がっかりに遭遇。


昨年に続いて、高校3年生連れ出して、「狂言鑑賞」 at "大槻能楽堂"


昨年は、『蝸牛』と『附子(ぶす)』の2本でしたが、
今年はそれに、『濯ぎ川』を加えての3本。


時間が来ても座らない。場内、飲食禁止なのだが、平気でドリンク取り出してごくごく。
で、「前説」始まっても、隣近所とくっちゃべって、ほとんど聞かない。本番始まっても、集中できない。


最後列から眺めていたのですけれど、落ち着かなさ加減、観劇の邪魔になるレベル……。
興味がないなら来なきゃいいのに、というレベル……。


前々任校(学区内トップ校でしたが)で、自ら企画した『十二人の怒れる男』を見せた時以来の、がっかり感。


クラス毎に座席指定せず、自由に座らせたことで、後列に元々興味のない者たちが居並ぶことになったのも、一因だとは思うのですけれど、
「前説」の掴み、昨年度の方が、より「巧み」だったとは思うのですけれど、
自ら進んで前の方に座った生徒さんたちは、それなりに、舞台上で行われていることに集中して、楽しんでいたようではありましたのですけれど、


昨年の様子と、たった一年で、同じ学校の同じ学年で、雲泥の差……。


そりゃ、オレの「現代文」の授業も、さぞや退屈だろうな。と、思わざるを得なかったのでした。


とはいえ、


オレは、一言一句聞き漏らすまいと耳を澄ませておりましたが、一挙手一投足見逃すまいと目を凝らしておりましたが、


「前置きの時点で先生5人爆睡で拍手で起きるのはさすがに笑う」と、つぶやいている生徒もありましたから、


教員側も、言えた義理ではないのかも知れませず……。


なんだか、とても、がっかりしたので、


終演後、教員集団と和気藹々する気もなく、生徒たちと帰りの電車が一緒になるのも苦痛なので、


ひとり、そそくさとその場をあとに致したのでありました。


そりゃ、維新の会が、橋下が、「国立文楽劇場」への補助金カットしたって、誰も、何にも思わないだろうさ。


「USJ」とか「TDL」というのが、「文化」なんだから。さ。


うくく。




補足というか、蛇足


『濯ぎ川』の冒頭、
「某(それがし)が女共は殊のほかわわしい奴でござって、朝な夕な私を追ひ使ひまする」
という台詞があって、「わわしい」という単語、初めて耳にしました。思った通り「口うるさい」の意味でしたが、


この歳になっても、初めて知ることってあるんですよね。
そして、このお話、昭和28年に、飯沢匡氏が翻案して、武智鉄二氏が演出したのが最初であるそうな。


そして、補足というか、蛇足の更に蛇足


『濯ぎ川』の演出、実はふた通りあるそうで、
愚直な婿養子の夫、小袖を川に流す時、故意に流すのか、誤って流してしまうのか、の、ふた通りの演出があるそうで、


今日の舞台は、前者のようになっておりました。


ほほ〜ん。