キミが望むなら! 命はあげないと思います

ガキの頃、


『パクパクコンテスト』というテレビ番組があった。


流行歌に合わせてフリマネをすることで技を競うという、ただそれだけなのだが、すこぶる面白かった。


よみうりテレビ」がまだ良心的だった時代の話である(爆)。


小学校には、「お楽しみ会」なんちゅのがあって、


今とは違って、「仕切りたがり」の「目立ちたがり」であったボクは、


大喜利」を企画演出したり、ゼンジー北京師匠よろしく「いんちき大マジックショー」を披露したり、


当時はまだ珍しい方だったオープンリールのテープレコーダー持ち込んで、


『パクパクコンテスト』などやらかした。


主催者かつ司会者でありながら、自ら『パクパク』したの、


西城秀樹の『情熱の嵐』だった。


記憶ではもっと低学年だったような気がしていたのに、調べてみたら1973年。ボク、小学校6年生だった。


小学6年生のボク、秀樹の歌をクチパクして踊っていた。


ボクにとって、秀樹と言えば、『傷だらけのローラ』でもなく、『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』でもなく、


『情熱の嵐』なのであった。


映画版、『愛と誠』は、ちょっと違うよな。と、思ったのだった。


秀樹は元より、早乙女愛が、違うやろ?と、思ったのだった。


そんな、秀樹が亡くなった。


少しずつ、自分の順番が近づいているという、その感じが、


なんだか、


とても、


切なくて、


そして、


悲しい。