心丈夫ですが
なんだかんだで5月。
当方、カレンダーどおりの仕事なので、連休の狭間2日の1日目。
なのですけれど、
仕事に対するモチベーションが上がらない。というか、モチベーションの出鼻を挫かれている。
目の前の生徒さんたち高校3年生、大多数が、引退間近の部活と、己の周辺のことにしか興味がない、関心がない。
文学は元より、過去の映画にも、芝居演劇にも、古典芸能にも、多岐に渡る音楽の森にも、美術や絵画の歴史にも、分け入ろうという気配がない。
世間的には、結構、高めの偏差値だと言われ、内心それを誇っている風であるにもかかわらず、まるでない。恐ろしいほど、ない。
無論、政治の世界には、ひと欠片の関心もなく、
日々、揺れ動いている世の中にあっても、自身とはてんで関係がないかのように振る舞っている。
という以前に、今、世界で何が起こっているかを知らない。知ろうという気もない。
日々、部活。それを終えたら、塾。そして、大学受験の「ための」勉強。
かなり素敵なこと、大切なことが書かれているのですけれど、
授業で読むテキストの内容には気が向かない。
教師の多くも、そんな彼らのニーズに応えるべく、
部活の指導して、覚えるべきこと、解答への近道を、伝えること学ばせることに意を尽くしている。
数学や科学や社会の有り様を学ぶことが、人間にとって、世界にとって、どんな意味があるのか?
なんてことは考えず、口にすることなく、日々教壇に立っている。
外国語である英語を学ぶことは、それを使って何かをなすための「手段」であるのに、
生徒だけでなく、教師の側もそれが「目的」化してしまっている場合も少なくない。
国語教師なんてものになるんじゃなかったな。と、思うことが、近頃増えてきた。
企業よろしく、年度初めに目標を立て、その達成を目指して、教壇に立つ。
上げた成果に応じて、給与をUPしますよ。などようの小賢しい小細工のくだらなさに、怒る気も失せてきた。
くだらないことでも、長いものならそれに巻かれようという人たちを見ているのが辛くなってきた。
ガッコという現場に、オレのようなヤツがいないとまずいだろ。
と、思いながら、やってきたけれど、
そういうオレが必要とされないのなら、しがみつくこともないよな。
と、思うようになってきた。
いかなる環境、状況にあっても、
心折れないことについては、自信のあるオレですが。
そんな今日この頃……。