前に倣え
授業で、
渡辺一夫の「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」を読んでいる。
本文を読み始める前に、表題の問いかけに対して、あなたはどう思うか?
と、数名の生徒に尋ねると、
あるクラスでは、最初に尋ねた生徒の答えが「不寛容になるべきではない」。以下数名も同様に、「不寛容になるべきではない」。
別のクラス、最初に尋ねた生徒の答えが「不寛容になるべき」。以下数名の答えも同様に、「不寛容になるべき」。
これが意味するものが何なのか?
多数派でありたい。多数派であれば安心。という、同調圧力への抵抗力の弱さなのだろう。
己のアタマで考えていない。判断していない。
簡単に、マイノリティーを排除する側に回れそうなのが恐ろしい。
大西赤人の「判断停止の快感」を読んだ後のクラスもあるのだけれど、
何を読んだのやら……。