割り切れない有限な存在
まだ4月だというのに、
職場の、我が在している部屋に、アカイエカが一匹、
浮遊しているのを、撃墜致しました。
それなりの権威権力を有していたならば、「生類憐れみの令」などを公布発布制定致しているかも知れないボクですが、
ニンゲンという生き物、矛盾に満ちています。
新学年、生徒さんたちと読み始めたテキストの中で、
渡辺一夫氏は、そんなニンゲンのことを、「割り切れない有限な存在」と定義しているのですけれど、
言い得て妙、ニンゲンという存在、一筋縄ではいきません。
一筋縄ではいかない中、世間には、
貧しき者、弱き者、マージナルな場所に身を置かざるを得ない者、
ざっくり言って、マイノリティーであることを余儀なくされている者に対する視点や視線を持っている者と、持たない持てない人がおります。
ボクは、そういう視点や視線を失ってはいけない。そういう視点や視線を失うことは、人にあらざることだ。
と、日々思いながら、公人としても私人としても、自身の生を生きています。
友人知人たちの日々のつぶやきを、SNSで眺めながら、
あー、この人ってこういう人だったんだ。やれやれ……。と、思うことがしばしばあります。
バンド関係にも、ちょくちょくあります。
そして、その時思うのは、
それその人が、ステージ上で、どんなに素晴らしい演奏を繰り広げる人であっても、
ボクは、この人と一緒にバンドをやることは、決してできないな。ということ。
なのですが、世間には、また、
自身とは異なる思想信条の持ち主であることがわかっていても、
この人は向こう側のニンゲンなのだ、ということがわかっていても、
共に、同じバンドで、同じステージで、楽曲を奏でることができる人もいるんだな、
ということも、同時に知るのです。
ボクは、残念に過ぎるので、その人と一緒に語り合うつもりはありますが、
語り合った末に、その人が、やはり、自分とは異なる、相容れない人であるならば、
決して、同じステージに立って、共に演奏することはできません。
ま、向こうにしたところで同じだと思いますけれど……。
そんなこんなで、
相方とふたりでやってる"The Monkey Business Extra Light"も、
"夜の水たまり"も、
反改憲を掲げて活動している「からすプロジェクト」も、
「共通理解」というものをベースに、続けております。
というわけで、
今のところ、お互いに思想信条、衝突することなく続いておりますところの、"夜の水たまり"、
1stフルアルバムのリリースが十日後に迫って参りました。
4月22日(日)京都「拾得」
夜の水たまり ワンマン・ギグ
OPEN 17:30 / START 19:00
¥1,500 (要オーダー)
皆さまのお越しを、心よりお待ち致しております。