忘れないことは大事なことだと思うのです

昨日は休日だったから、なかったけれど、


平日の場合、職場では、14:46になると、被災者の追悼のため、みんなで黙祷を捧げましょう。


ということを例年行っている。


終戦記念日の甲子園もそうだけど、みんな、素直に従っている。


3.11は、内閣府の呼びかけに応えてるんですが、


黙祷するぐらい、別に手間じゃないのですけれど、


「みんな一斉に○○しましょう」という呼びかけには、たとえそれがどんな善意や善行から発されたものであっても、


ボクなどは気味の悪さを禁じ得ないのです。


未曾有の大災害、大きな被害、失われた命多数……。


ということは重々承知しておりますけれど、ボクには黙祷を捧げる対象が、実体がありません。


メキシコの地震で失われた家屋や命と、東北の震災で失われた家屋や命と、


ボクの中では、ボクにとっては、それほど大きな差がありません。


しかも、


黙祷を捧げる呼びかけをすると同時に、内閣府は、被災地にやらなきゃならないことしこたま抱えてる。


7年前の震災は、単に天災というだけでは片付かない課題を山ほど抱えたまま、積み残している。


災害という悲劇を利用して、善意の皮を身に纏って、民心をひとつの方向に持ってくための方便のようで、


この国の人に限らないんだろうけれど、人間って、「形式」というの好きな生き物だよね、


なんだかなぁ、と思うのは、ひねくれ者のボクだけですかね?