11世紀のベジタリアン

授業や講習で、大学入試センター試験の過去問題や、模擬問題をやっているのですけれど、


漢文の問題本文が、偶然、立て続けに、


唐宋八大家のひとり、蘇軾についての話。


ひとつは、


時の権力者とぶつかって、国政誹謗の罪を着せられ逮捕、
厳しい取り調べの末、一時は死を覚悟したものの、特別の取り計らいによって黄州(湖北省黄州区)へ左遷。
のち、政権が代わって許され、都に戻る際、かつて自身に罪を断じた裁判官に会う。
かつての己の所業に対して恥の色を見せる相手に、「寓話」をしかけてからかったというエピソード。


もうひとつは、蘇軾自身が書いた、


黄州に左遷される前、死罪を免れぬであろうと覚悟した時、
台所で死を待つ、鶏や鴨の気持ちがわかった。向後、オレは一切、生けるものの命を奪うことはするまい。


と、心に決めたというエピソード。


実際、猪や羊を殺めることはやめ、蟹や蛤を人から頂戴したときは、川に流した。
蛤が川で生き長らえることができないだろうことはわかっているけれど、焼かれたり煮られたりして死んでいくよりはましだろうと思った。
万が一であれ、生き延びられるものがいればいいなと思った。


そうすることで、何かを手に入れたいとか、何かを望むからそうしたというわけではない。
ただ、生き物の命を自身で奪うことをしたくなくなったのだ。


でも、情けないことに、オレは肉の味が忘れられない。だから、今でも自然死した生き物の肉は頂いたりしている。


という文章。 蘇軾って、11世紀のベジタリアンだったんですね。


で、遠い過去に思いを馳せるに、千年前の中国の人たち、
生き物の肉を頂戴するときは、魚であれ、鳥であれ、獣であれ、ほとんどの場合、
自身や家族の手で、直接命を奪って、その肉を頂いていたのだと思われ、


わが国にしたところで、五十年も遡れば、


多くの家が、自宅で鶏や鴨を育て、その玉子を頂き、
やがてはその鳥たちを自らの手で殺めて、羽根を毟って、その肉を頂いていたわけで、


自身の口に入る生き物の命を、生と死を、
加工された食品として目の前に提示されるだけの現代人とは比較にならぬ形で、リアルに受け止めていたはずで、


他の生き物の命を奪いながら生きているという、それそのことの意識は、とても高かったのではないかと思うのでした。


だから、千年前の蘇軾の方が、現代人より以上に、生き物の命を奪いたくないと切実に思えたのではなかろうか?
と、その文章を読んだボク、思ったのでした。


ボクの相方、ある時から、生き物の肉を口にしなくなりました。
蘇軾と同じ理由からです。それをすることで何かを得たいとか、何かを望んでそうするようになったわけではありません。
この話、その分、ビールをしこたま飲んだくれるようになった相方が読んだら面白がるだろうな、と思ったのでした。


かくいうボクはどうかというと、


蘇軾や、相方の思いは至極よくわかる。わかります。できればボクもそうしたいという気持ちがあります。


が、ボクも、情けないかな悲しいかな、蘇軾同様、舌が肉の味を忘れてくれません。
そして、自らが手を下して命を奪っているわけではないのを良いことに、生き物の命を頂いております。


ただ、加工されて見えなくなっているけれど、
「オマエは日々、生き物の命を頂いているのだよ」ということを、常々、忘れぬようにしようしたいと思っております。
「頂きます」というそのコトバは、そのことへの感謝と謝罪なのだと思っております。


ひょっとすると、


食肉という文化を支えている屠殺の現場が、
人々の眼差しの届かない、隠匿された場で行われるのでなく、
可視化された場所で行われていたならば、


或いは、自らの手で生き物たちの命を殺めない限り、肉食を続けられないのであれば、
もう、生き物の肉を頂くのはやめておこう。という人の数は、もっと多くなるかもしれません。


少なくともボクは、そこまでして、生き物の肉を欲しないだろうと思います。
誰かがそれを代わってくれているから、ありがたく頂いている、頂けている。


人は、本当は見える筈のことを、見なければならないだろうことを、隠蔽隠匿することで都合良く生きている生き物です。


あえて見ることはない。見なくてもいいかもしれない。
でも、今、自分の目の前にあるそれが、どういう過程を経てここにあるのか、


ということは、みな意識しておくべきだろうと、


改めて思った今日でした。