良い子なだけでは物足りない
年を追うごとに、
「指定校推薦」(これは以前からありましたが)やら、「公募制推薦」やら、「A.O入試」やら、
各大学様、年明け1月下旬から開始する入試本番を待たずに、あの手この手で学生の確保に躍起になっているのでありますが、
かつては、高専からの編入などようの、一部の例外枠しか設けていなかった国公立大学でも、
推薦入試などようのものを前倒しで行うようになって来ておりますので、
高校3年生の担任は、
担当するたびに、ややこしい。そして、はっきり言って、めんどくさい(爆)
まだ、今年度、半分しか終わっていないのに、大学に提出する「調査書」を作成発行したり、「推薦書」を書いてやったりしなくちゃならない。
大学によっては、制度によっては、原稿用紙3枚超の「推薦文」の提出を要求していたり。
生徒たち自身の「自己推薦PR文」や「志望動機書」なるものを提出させるところも多いのですけれど、
誤字脱字は元より、何をどう書けばいいのかわからないティーンズの方が多いわけですから、
まともな文書を捻り出すために、書き方指導、添削指導に骨が折れる。
にも関わりませず、
そんな文章を、得点化して合否決定の評価の対象にするという大学もあるのだから呆れる。
担任の指導力や文章表現能力が、合否を左右しかねないわけで、制度そのものに欠陥がある。
「ボランティア活動歴」などを委細漏らさず記載すること。などようのことを要求している大学もある。
大学側が、「ボランティア」の意味をよくわかっていないらしい。
「そんな大学、行くのやめたら?」
と、言いたくなるけれど、言えないこともある。言うこともあるけど(笑)
だもんで、
明日から定期考査なのですけれど、考査問題そのものは、ちゃっちゃと作成準備できているのですけれど、
採点地獄が待り構えております。
それに平行して、「調査書」や「推薦書」の作成にも追われるわけで、
「別途、原稿料ください。文書作成料ください」って、感じ……。
「推薦書」というもの、「推薦」しなきゃならない者が、たとえどんなに嫌な若者であっても、
「これこのように素敵なヤツです。お薦めですから。貰ってやってくださいね〜!」ということを書くわけですが、
今の職場の生徒さんたち、
改めて、どんなヤツなのかを振り返りつつ、人品人柄性質性情を文章に起こす時、
勉強がデキるデキない別にして、掛け値なしに、いいヤツ、いいコが多いと気づくのです。
(姿を現さず、「陰口を叩く」ことをする者がいることは知っておりますが、)
生徒同士で怒号が飛び交う、殴り合いが始まるなんてこと、まず、ないわけで、
基本的に、素直で温厚、利己的な振る舞いは致しませず、気配りもできる。
オレがオレが、ワタシがワタシが、という、過剰な自己主張も致さない。
けれど、
物足りなさ。というより、不安を感じるのは、
アタマの切れる悪いヤツには、コロッと騙される。
ような感じがする者が多いこと。
悪いヤツに反発するだけの、知力体力性情を備えているヤツが少ない。
ように思われること。
いくらいいヤツでも、流されてはおしまい。長いものに巻かれるだけ。
軽々に流されない気骨を備えている人になって欲しいものであります。
で、
話は変わるのですけれど、
枝野「立憲民主党」、「共産党」以外に「リベラル」の選択肢ができて幸いだと思います。
「保守とリベラルは対立概念ではありません」
よくぞ言ってくれました。