脱人間中心主義

相方と話をしていて、昔、テレビで見た、「とあること」を思い出した。


もう、30年ほど前になると思うが、「朝まで生テレビ」的な討論番組で、


環境保護、自然保護、動物保護などようの話題の中、


それが、何という男だったか覚えていないのが残念なのだが、ひとりの出演者(確か某新聞社の編集員上がりだったと思う)が、


「象が絶滅して、何が困るんですか?象がいなくなったって、人間にとって別に大きな打撃じゃないでしょう?」


と、発言。それを聞いて、驚くとか、呆れる、のを超えて、


「こんなことを本気で思っていて、その思いを恥ずかしげもなく公共の場で発言してはばからない人間が存在しているのだ」


と、怒りを覚えたというその記憶。


でも、


人間って、実は口に出す者が少ないだけで、


この地球上で自分たち人間がイチバン偉いのであって、身の回りにあるものどもは、すべて自分たち人間の福祉のために利用活用すべきである。


と思っている節がある。というより、思ってる人の方が多いのだろう。


「環境問題」にしたところで、人間にとっての「環境」がまずくなってから、初めて「問題」にするわけで、


人間の考えること、やることなすこと、これすべて人間中心人間優先。


だから、公共の福祉というコトバの「公共」の中に、人間以外のものは含まれない。


しかも、同じ人間であっても、あの人間とその人間に序列や優先順位を拵えて、あの人間の利益のためには動くけれど、その人間のことはどうでも良い。


というお話になっていくので、下手をすると、ある人々は、人間であっても、「公共」の勘定に入れられないことになったりする。


我々人間という生き物、


日々、他の生き物の命を頂戴しながら、この地球という星で、他の多くの命と共に暮らしていながら、


そのこと忘れて、調子に乗りすぎてんじゃないですかね?


我が国に限らず、世界のあちこちで政治というものの舵を取る人たちの多くが、


「象が絶滅して、何が困るんですか?象がいなくなることって、人間にとって別に大きな打撃じゃないでしょう?」


と発言した、先の人物と同じような心性の人間ばかりになってしまったように思うのは、


ボクの考えすぎでしょか?


それとも、政治の舵取りというのは、昔から、そういう人ばかりがやっていたんでしょか?