スーザン・ソンタグも泣いている
恐らくは、この国の、9割を超える人が読めなかったであろうと思われる、
「未曾有」を「みぞうゆう」、「踏襲」を「ふしゅう」、「頻繁」を「はんざつ」、「云々」を「でんでん」と読む輩たちなどは、
読めるはずもなかったであろうところの、
「忖度」というコトバ、
国民の9割……、とは言わず、6割ぐらいは読めるようになったのではないかと思われるのですけれど、
ボク自身は、このコトバ、「音」としては十代前半から知っていたし、使っていましたが、
漢字で「忖度」と書くのだということを、
『神の意志の忖度に発す―科学史講義』村上陽一郎、豊田有恒・著(朝日出版社)
で、知ったことを、明確に覚えております。
この本、上梓されたのが1985年ということですから、「科学思想史」なるものに首を突っ込んでいた頃、
ずいぶんいい歳こいてから知ったわけです(恥)。
で、「忖度」という語、
「他人の気持をおしはかること」という意として、
声なき声に耳を澄ませてそれを聴き取ろうとすること。
の、意として使われることもあれば(上記の書籍では、勿論、その意で使用されております)、
上役上司お上の意向を先回りして汲み取って、作り笑いで揉み手しながら阿諛追従すること。の、意で使用されることもあるわけで、
昨今の、官僚とかいう生き物たち、そのよろしいはずの脳髄を、そちらの方面で発揮することに汲々としているらしく、
「アタマの良さ」というものを、「声なき声に耳を澄ませて聴き取る」方に使用致せば、
もうちょっとマシな世の中になるのではないかと思うのですが、
近年ますます、バカはバカなりに、かしこはかしこなりに、
世渡りの「忖度」ばかり致しているようで、
「おかしい」と思ったことどもに、その相手がたとえ権威権力を握っている相手であっても、「それはおかしいのでは?」と言えるニンゲンが、
元々少なかったのが、更に少なくなって来ているのが、
この国のみならず、世界的傾向なのだろうな。と、思うばかり……。
それが「喜劇」であるうちはまだしも、そろそろ「悲劇」の幕が開けそうですから、
他人事ですまなくなりそうですから、
くだらない目先の「忖度」で生き残りや出世を図ってないで、
「くだらない」ことや「くだらない」ヤツらに、「それはさすがにあかんやろ!」と、
みんなで言いません?
か?