偉そう最低伝説、いや事実

毎度毎度、しつこく、生徒さんたちに言っておりますこと、


村上春樹という作家、好きな方も嫌いな方もおいでだとは思いますが、
彼が、「エルサレム賞受賞式典スピーチ」で語ったこととかぶるのですが、


「高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があるときには、私は常に卵の側に立つ」


要は、このくだらなくも情けない人間社会に生きる中で、
社会的弱者、マイノリティーに寄り添う気持ちを持たずに生きるのは、


ニンゲンとしてとても恥ずかしいことだということ。


現行政府の、恵まれた環境で生育したにもかかわらず、途轍もなくアタマ悪いので妄言放言繰り返している首相やその取り巻きたち、
かつて、庶民であったということを売りにしているかつての大阪市長


断言致しますが、弱者やマイノリティーに寄り添うところは、皆無。


そして、今の世相、


そういうくだらないニンゲンの言うことに、盲目的に追随して、揉み手しなければ、上手な世渡りができない。
だから、勢い、くだらない者どもが跋扈して憚らない。


これも、内田樹氏じゃないけれど、
いつの間にかこの国は、くだらなく偉そうな人たちに媚びることをしなければ、出世できないような仕組みになってしまった。


だから、くだらなく偉そうなだけの人たちが、それが、さも正解であるかのような顔をして、のさばっている。


オマエら、おかしいやろ? と言う人たち、いないではないのですけれど、その声は、


アタマが悪いのにのさばっている人たちのことを盲目的に信頼している人たちには、届かない。


それでも、敢えて言うのですけれど、


自分が良ければそれで良い。という生き方考え方、いい加減、止めませんか? 止めましょうよ。