イマジン
3年生に上がったばかりの文系の高校生の皆さまと「現代文」の授業で、
「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」
という長々しいタイトルの、すでに故人であらせられますところの渡辺一夫氏が1951年に書いた文章を、一緒に読んでいるのですけれど、
表題の問いかけに対する筆者の答えは、
「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきでない」
という、実に簡単明瞭なものなのですけれど、
書かれてからすでに、六十数年を経過しているのですけれど、
この命題は、「不寛容の時代」と称される現代において、極めて先進的な命題であるわけですけれど、
「そんなの、ただの理想に過ぎませんやん」と、鼻で嗤うのもまた、簡単なことなのかも知れないのですけれど、
"イマジン"を聴いて、
そういう世界が訪れた方がいいよね! いいじゃん!
と、思う人が多いのでしたら、「理想」の方を追求した方がよろしかろうと思うアタクシ、
「寛容」をモットーとしていながらも、
「不寛容」を前にすると、黙っていられない質ですゆえ、
「生徒のため」などようのこと標榜しながら、結句、それっておためごかし、自分のためなんじゃないの?
という発言を前にして、
怒りました。
「寛容」をモットーと致しておりますので、「暴力」なんちゅものに訴えることは決して致しませんが、
テポドン飛ばしたり、サリンばらまいたり、血を分けた兄弟を亡きものに致したりは、決して致しませんが、
「寛容」の持つ武器はただ、「説得と自己反省」しかないのでありますが、
語気を荒くして、怒りました。
あなたのような人がいるから、世界は、社会は、カオスになるのです。
でも、時には「説得」よりも「罵倒」の方が有効かもしれないと思うアタクシは、
まだ、「寛容」について、修行が足りないような気も致すのでありました。
ボクの発言で、嫌な思いをさせた人がいたなら、すいません。
あぼ〜ん。