作ることと売ること

写真家・荒木経惟氏が「電通」で宣伝用カメラマンとして勤務していた頃の話を読んで、
広告屋のクリエーターというもの、時間に縛られず、自由でいいね。


と、思った。


当時から反核で、原発関連、武器兵器関係関連の企業に勤める気のなかったボク、


大手マスコミ、出版業界は、準備不足のぐうたら学生には敷居が高そうなので、
広告業界や、商品開発や宣伝広告に力を入れている(自分じゃまったく使わないのに(笑))化粧品会社などに潜り込むこと目論んで、


ちょろちょろと就職活動の真似事してみたものの、
金儲けということにやる気のないこと見透かされたのか、どこからも採用致されなかったので、


卒論だけ残して自主留年、その一年で教員免許状取得して高校教師になったという「うつけ者」なのですが、


当時、地方新聞社や、こじんまりした出版社、地元関西の放送局などへの就職を真面目に考えていれば、
今頃、何をしていたのかしらん?と思わないでもないのですが、


でもって、


リエーターというのであれば、製菓業界や玩具メーカーで商品開発に携わるという選択肢もあったんですよね。
きのこの山」とか「たけのこの里」なんちゅの考える人、楽しげですやん。


などようのこと、今にして思ったりするのですが、


自由人を飼っていたはずの「電通」に入社した東大出の女性社員が、過重労働を苦にして自殺するという現代、


昨夜、新聞の夕刊眺めていたら、


ガリガリ君」アイスを売る会社のマーケティング部長が、「凄腕つとめにん」として紹介されていて、
工場の見学コースの入り口、どでかいガリガリ君の絵が描かれた壁の前で撮影された近影も載っかっているのですが、


「自由人」とはほど遠い、リーマンな佇まい……。


彼の仕事ぶりを紹介する記事には、
「通勤電車では毎朝、経済紙を読み、車内の雑誌のつり広告の見出しをチェック。夜はスポーツ紙で頭を柔らかくする。昼間は2ちゃんねるまとめサイトを確認」
するのだとあって、


要は、どんな「ガリガリ君」を、どんな形で市場に出せば、売れるのか?儲かるのか?
ということだけを、日々、ひたすら考えていやはる人であるわけで、


そりゃ、売れること、儲かることは、企業なんだから大前提なのではありますけれど、


やるな〜とか、すごいな〜とは思いませず、楽しそうだな〜とも、思えませず、


「ものづくり」としてのその姿勢が、


つまんねーな。そんな仕事したくねーや。と、思ってしまうのでありました。


放送番組こしらえる業界にしても、音楽業界にしても、きっと、根っこのところは同じであって、


「凄腕のつとめにん」たちは、どういう層に、どうアピールすれば、売れるのか?金になるのか?儲かるのか?
ということを、日々考えている。


己が面白いと思うもの、作りたいと思うものを作る。己の中から湧き出るもの、湧き出すものを形にする。
というのが「ものづくり」の本質なのだと思うのですけれど、


その前に、


それが「売れる」のかどうか、「金になるのかどうか」ということが最優先事項として立ちはだかる。


それって、なんか、違うよな……。と、ボクは思う。


で、それって、なんか、違うよな……。と、思うようなニンゲンを、業界は必要としていない。


だから、やっぱり、ボクは、お呼びじゃなかったんですよね。


誰かの中から湧き出てきた「文学」なんちゅものについて若者に語る、若者と語る仕事で、
教師は教師で世知辛いのではあるけれど、この仕事で良かったのかも知らん。


どういう層に向けて、どんな言葉を、どんなメロに載っけて発すれば、売れるのか?金になるのか?儲かるのか?
なんちゅこと一切考えないでやってる、場末のアングラ・バンドマンで良かったのかも知らん。


ん〜ふ〜。