ありがとうが基本でしょ?
ボクは、自身のことを客観的に評価して、どちらかと言えば、
感情的なニンゲンというよりは、論理的かつ合理的側面が勝っているニンゲンだと思います。
ですが、
仕事というもの、
己が食うためにやっているとはいうものの、
どんな仕事であれ、それは、人のためにやっているという側面が必ずあるわけで、
人はみな、多くの人の力を借りながら、日々生きております。
ですから、
何かしてもらっている、して頂いているということについて、
たとえそれが、その人の仕事で、己が生きるために仕事としてやっていることであっても、
その相手に、「ありがとう」という気持ちを感情を、ボクは常に自然に抱いております。
が、
そんな普通と思えることについて、
「あー、それはそいつの仕事だから。それをすることについての対価を貰っているわけだから」
と、合理的と言えば合理的なのでしょうけれど、
さくっと割り切ってしまえる、叩ききってしまえるニンゲンがこの世には少なからずいるようで、
というか、確実に増えているようで、
それは、内田樹氏がツイートしていた
「強権にへつらう人たちだけが選択的に受益できる仕組みがこの数年で日本のほとんどすべてのシステムに蔓延しました。
いつのまにか性根の卑しいやつばかりが威張り散らす社会になった」
ということと、無関係ではないように思うのでした。
己や己の関係している人たちがしてもらったこと、してくれたことについては、
それが、対価を伴っていないものであれ、対価を伴っているもの(それが正当な対価であるかどうかを考えることを含めて)であれ、
「ありがとう」という感情を抱くことを忘れたら、
人が人であることを見失うことになるのではないか?
と、思います。
そんな、人が人であることを見失った人ばかりが威張り散らす社会になっているな、いますよね。
と、実感する今日この頃。
なんだかなぁ……。