キミたちがいてボクがいる

高等学校「現代文」の教科書には、今のところ、極まれに例外はあるにせよ、「まとも」な人のコトバが並んでいる。


2020年のカリキュラム改編において、それがどうなるかは未知数ではあれ、
小中学校で必修になるという「道徳」の教科書は、とんでもなく酷いことになりそうではあるけれど、


出版社に、教科書を編集しているという矜持がある限り、まだ、大丈夫なのではないかと思っております。
が、検定のありかたによっては、良心的な出版社から順に、教科書の出版から足を洗っていくかも知れません……。


現状、高校生たちは、3年間にわたって「まとも」な人々の書いた文章を読み、
短大や四年制大学に進学する者は、受験に際して、志望する大学が国公立大学であるならば、すべての受験生が、
私大専願であるならば、文系志望であるならば、ほぼ全ての受験生が、


進学したい大学が、「まとも」な大学であるならば、
「まとも」な人の書いた文章を読んで、それについてそれをどのように読解理解したかを答える形の入試問題というものに取り組んでから、
それぞれの大学の門をくぐることになっている。


にもかかわらず、


基本的人権」や、「自由」や、「平等」や、「平和」や、「公共の福祉」や、「芸術」や、「スポーツ」が持つ意味や意義について、
それを考えることをどこかに忘れて、それを話題にすることすらを厭う者たちばかり。


「まとも」な人たちのコトバを読み、学んだ筈なのに、
日常、使用している母国語であるのに、わざわざ高校で学ばねば理解できぬほどに、彼ら「まとも」な人たちのコトバは難しすぎたのか、


愚劣で、内容のない、威勢だけはすこぶるいいコトバに振り回される者ばかり。


今日、目にしたSNSに書いていた人がいたのですけれど、


昨今の若者、好んで聴く音楽と言えば、


  あなたを愛してる。あなたを守りたい。あなたの笑顔が。云々……。
  おまえの笑顔に感謝。母さんの子どもに生まれて幸せ。お前がいたから、おれがいる。云々……。


この手の音楽が好きな人には申し訳ないけれど、


好き嫌いの問題を超えて、


そりゃ、アタマ悪くもなりますわ。


これらのどこがどうアタマ悪いかがわからぬ人は、高校「現代文」の教科書を、も一度開いてみてください。
こういう当たり前のことを、恩着せがましく当たり前に表出した稚拙な表現は、一切、どこにも出てきません。


チャーリー浜がギャグにしてたコトバを、マジで唄ってどーすんの?


でも、たぶん、恐らく、いや、間違いなく、


カリキュラム改訂後、必修となるらしい、小中学校の「道徳」の教科書には、この手の文言、頻出していると思われます。


とすれば、時代のニーズに合ってるわけだ。


やれやれ……。