両極端しか知らないオトコの戯言
とあることから、
前任校で仕事をしていた頃のことをあれこれ思い出した。
現任校で、4校目になるのだけれど、
それはもう、ぜーんぜん違う場所で、ぜーんぜん違う仕事をして来ましたよね、と。
職場変わるたび、転勤というより、転職でしたよね、と。
飽きっぽいオレが、よく、30年も辞めないで続けてきましたよね、と。
今の職場、嫌な言い方ではあるのですけれど、いわゆる世間で言うところの「教育困難校」を経験してきた人多数。
だからなのか、
こんなガッコで働きたい、こんなガッコが理想、と思う教員が多そうな職場の割には、「モノのわかった」ベテランが多く、
いつぞやの職場には多数棲息していた、
くだらない上昇志向や、損得勘定、つまらないプライドに囚われて生きている者が目につかない。
生徒には、そんなことわかるはずもないとは思うのだけれど、実は、そういう職場の環境は、生徒たちにとっても願ったり叶ったりだと思う。
そんなこんなで、いろんな方が、かつて自身が勤めていた「教育困難校」時代の話をすることを、聞く機会が多いのですけれど、
聞けば聞くほど、前任校時代のオレのやっていた仕事、他の誰にも増して、とんでもなかったですよね……。
と、思うのでした。
経済格差の拡大と、それに付随する教育の機会均等の崩壊、思い切り先取りして、そんな現場の真っ直中を日々、泳いでいたわけで、
厄介な事象が起こるたび(ほとんど毎日のように起こっておりましたが(爆))、職場の中で、
誰でもないオレが先頭矢面に立って、立たされて、それに対処しているさせられている時期があったわけで、
世の中には、こういう生活が、家庭が、人生が、あるところにはリアルにあるんですよね……。
ということを、これでもか、と、突きつけられる毎日だったわけで、
そういうこと、知らないなら知らない、近づかないなら近づかない、でいいのだろうけれど、
この仕事に就いたことで、そんなガッコで、そういう役回りの仕事をしたことで、そういう世の中と対峙したという経験は、ま、あっても良かったかな?
と、思わないでもありません。(もう一度、どうですか?と言われたら、謹んで辞退させて頂きますが……)
だから正直、
勉強というのは、しんどいものなのでしょうけれど、やりたかないものなのでしょうけれど、
今、勉強と部活動だけの世界に生きている、生きていられる若者たちを前にして、
キミたち、恵まれてますよ。甘えてたらあかんよ。
と、思うところがないでもありません。
そういう恵まれている若者たちを、甘やかしている、教師を含むオトナたちを、
あんたら、そこまで甘やかしたらあかんやろ?
と、思うところがないでもありません。
が、人というのは、己の目先にぶら下がっていることしか見えないようにできているモノなので、
それはそれで仕方のないことかも知れません。
オレは、仕方ないとは思わない目でいろんなもの眺めながら、あれこれ思いながら生きているので、
今のこの世の中全体の動きや流れを含めて、時々、なんだかなぁ、と、げんなり致したりするのですけれど、
人ひとりが生きていく中で、体験経験できることなど限られている。
医師でなければ医師の世界のことはわからない。八百屋でなければ八百屋の世界のことはわからない。大工でなければ大工の世界のことはわからない……。
とはいえ、小説や映画や芝居というものを通して、疑似体験ということはできる。
自分の知らない世界をのぞき見ることはできる。
その積み重ねの中で、人は、自身の想像力や、問題対処能力を鍛えることはできる。
と、この歳になっても、オレは思っております。
そういう積み重ねの場に若者たちを誘うのが、オレの仕事だと思っております。
今日から、今の職場に、またぞろ、「教育実習生」という名の、卒業生という名の若者たちがやって来ました。
教師になるつもりなどさらさらなく、気まぐれで「教育実習」に行ったら、思いの外、面白かった。
という不純な動機で、この仕事を選んでしまった、この仕事に選ばれてしまったオレが偉そうに言えることでもないのですけれど、
ガッコの教員というのは、
己の知らない世界、己の知らない社会、己の知らないニンゲンと関わることが仕事。
自分基準でモノを考えることを常に見直す目を持つことが必要。フレキシブルな感性が重要。
人権や自由を思い、公平さを忘れぬことが必要。
だから、
毎度言ってるように、ホントは、オレがそうしたように、母校なんかで「実習」しない方がいいんです。
あなたたちの知らないガッコが、この世にはゴマンとあるのですから、さ。
教師になるならなるで、そのことを知った上で、なった方が、いいと思うんだけど、
ね。