孤独のススメ
Webとスマホの大衆化によって何が変わったか?
最も大きいことは、
人として生きる時間の使い方と、自分自身に対する向き合い方。
かつて、少年、青年だった頃、学校を離れれば、
そこには、ひとりの時間があった。家族との時間もあったにせよ、
同世代の友人や仲間から離れて、ひとりで過ごす多くの時間があった。
村社会的地縁の中で、ダラダラとお友だちごっこに明け暮れ、群れ集う連中もいないではなかったけれど、
多くの者はみな、ひとり静かに、誰とも関わらず繋がることのない時間の中で、
誰かが綴った文字を目で追ったり、音楽に耳を傾けたり、ブラウン管に映し出される映画やドラマを眺めながら、
自身の孤独と向き合い、己の孤独と折り合いをつけることを覚えた。
今、大学生は勿論、小学生も、
あの人やこの人と、Webで繋がり続けながら、
人生の時間を、二十四時間、自分以外の誰かと共に過ごしている。
自分以外のあの人やこの人が、今どこで何をしているのか、いつも意識しながら生きている。
孤独がなくなったとは言わない。
でも、孤独は、確実にその姿を変えている。Webは、スマホは、人に孤独と真摯に向き合うことを許さない。
孤独を思う時、その孤独と闘う術を、Webは、スマホは教えてくれない。
"夜の水たまり"鍵盤の平野さんが昨日書いていたこと。
よく知らんのやけど、最近の曲やアーティストでうらみつらみや敗北感なんか歌てる人っておるのか?
なんか人生の応援歌みたいな歌しか聞こえてこないんやけど。(それも、おまえに応援されたないわって輩が声高に歌ってる。)
彼らは俺みたいなジジイに向けて歌ってないのは重々承知やけど。
うらみつらみや敗北感を唄わなくなったのは、或いは、唄っていても、そういう歌がメディアに持て囃されなくなったのは、
人がみな、孤独とまともに向き合うことを厭うようになっているから……。
道に倒れて誰かの名を
呼んでも、だぁれも見向きもしてくれないところから、
自ら立ち上がる、這い上がる力のないことを、誰かのせいにする。
うまく行かないことがあれば、自分より不幸な者を見つけて安心する。バカにする。
そもそも、傷つきたくないから、傷つくことが怖いから、
道に倒れて誰かの名を呼ぶようなダサいことは、決して致さない。
人ごとに言うほどたそがれは やさしい人好しじゃありません