命の重さ

いずれこの世は「生殺与奪」


みな、日々、殺生しながら生きている。


現代人のほとんどは、自らが殺生しながら生きていることすら忘れている。


何の命をどこまで大事に思うのか?ということ、人によって大きな差があって、


鯨を食らうのは文化である。という者がいれば、
あれほど知的で優しい生き物を殺すのは野蛮に過ぎるという者もいる。


そう言いながら後者の中にも、鶏や豚や牛は平気で食らっている者がいる。


鯨食にいちいち目くじら立てはしないけれど、
知的であろうがなかろうが、日々、生き物たちの命を奪いながら、自身が生きることに疑問を感じて、
鶏や豚や牛を、人によっては、魚や貝も、卵や乳も、口にしないことにしている人がいる。


命に軽重があるのかどうか?


ノミや、ダニや、蚊や、蝿や、ゴキブリの命を、大切だと言う者は、まずいない。


人にとって、命の重さは、その命を大切に思う者の思いの大きさに比例する。


鯨を大切に思う者、イルカを大切に思う者、鶏を大切に思う者、豚を大切に思う者、牛を大切に思う者、


大切に思うから、殺さない者。 大切に思いながら、殺す者。 大切に思わないで、殺す者。


今日も、多くの命が生まれ、多くの命が消えていく。


捨てられ、見捨てられようとしていた命。関わったからには、「思い」が生まれる。


命の重さは、思いの重さ。


余命数えながら暮らすことになるけれど、ちいさくても、キミの命は重い。



ぞ。