目的が違えば手段も異なるのである

3万自腹切っての免許更新講習、やっとおしまい。


最終日の今日は、「教育の情報化」についてのお話と、「Excelによるデータ処理」


でしたが、「データ処理」の実習は、
参加している受講者のスキルの差が結構大きくて、アタクシは時間を持て余したのでありました。


だって、最近あんまり使ってないとはいえ、VLOOKUPとCOUNTIFの使い方だけだったんですもの。
午後に食い込んで、15時過ぎまでかかっていた課題、午前中に終わってしまってたんですもの……。


ま、それはそれとして、


情報端末いじくってどうこうという研修、ただ人の話を聴いてるよりも気楽なのは確かなわけで、
理解できているか、運用できているかというの、明白なわけで、


今日一日を通じて、「あー、なるほどな」と、腑に落ちた。


「知識より運用」などようのこと重視して、
学習者の理解を容易にするのでICTを積極的に導入しましょう、とか、
グループワークやアクティブ・ラーニングを推奨する人たちというのは、


たとえ、出自が文系であっても、実はアタマん中が「純粋理系」なのだということ。
形而下のことには興味があっても、形而上のことには興味関心、ほとんどないし、
もっと言えば、理解もないから、想像が及ばないのだろうな、ということ。


すでにそこにある答えまで、如何にわかりやすい形で簡潔に導いてくれるか導けるか?
ということだけを日々考えているのであろうな、ということ。


文学や哲学に、答えなんてないですから。答えのようなものを求めて右往左往しているのが、芸術ですから。


「国語」という教科は、実は日々、そういうことをやってんですが、
そういう世界のことをわかっていない連中が、他人様のお宅に土足でずかずか上がってきて、
「ICT、ICT」、「アクティブ、アクティブ」と、けしかけて来るから、
オイラのイライラは募るのでありますわな。


ということが、よーくわかりました。


でも、そういう連中も、美術や書道や音楽といった芸術科目には、「ICT」やら「アクティブ」やら、さほど言わないんだよね。


音楽は別にして、美術や書道はひとりで黙々とやるもんだと思ってるからでしょか?
それとも、どーでもいいと思ってんでしょか?


実のところ、内省ってのができないと、「国語力」てのは向上致しませんです。
そして、内省ってのはひとりで静かにやるもんです。


そこんとこ、よろちこ。