ひらがなの元になった漢字、ぜんぶ知ってます?

「免許更新研修」、別にどこの大学でも良かったんですけど、取りあえず近場に。


ひとつの大学でぜんぶ片付けばいいのに、選択科目の受講を申し込んだ大学は、必修科目を開講していない。
必修科目は別の大学に2日間行かにゃならんのですけれど、まずは3日間受講せにゃならん選択科目の一発目。


取りあえず、国語科の教員ですけん、今日選択した講座のお題は「漢字文化とかな文化」。


午前の講義、ベテランのセンセでしたが、パソコンにプロジェクター活用されておいででしたが、


そうデカくない教室で、マイク使ってるのに声が小さい。
無論、「漢字」について博学博識なのですけれど、豆知識を雑談切り売りすることに終始して、
目標目的着地点のない講義。一体全体どこへ行くのだろうと思いながら聞いてるウチに、
時間配分もテキトーに過ぎて、昼休みに食い込んで結構超過した上に、どこにも着地しないという……。


一体、このセンセは、何を伝えたかったんでしょか?


午後、現れたセンセ、歯に衣着せながら(笑)、理系重視文系軽視の世相、大学統廃合の混乱を嘆きつつ、
午前のセンセが恩師でして、恩師に頼まれたらイヤと言えないからやってんですけど(爆)、と言いつつ、


「かな文字」の成立とその流れについてのお話。


「かな文字」というのは本来、音と文字は1対1対応していたのではございませんのでして、
要は、「a」という音に対応する「かな」は、「安」のくずし字である「あ」だけではございませんでしたのでして、
そこそこ最近まで、「変体がな」というのをみなそれぞれ手前勝手に使っておりましたのですよ、そこんとこよろしく。


そして、この国の「古典文学文芸」の深い深い森の中、今までに活字化されているものなんて、全体の10%にも満たないようなもので、
そりゃ中にはくだらないものどーでもいいようなものもありますですが、
原本であるところの版本を読むチカラがないと、実のところ「古典」は読めないんですけれど、


実のところ、最近は、国文学部の学生さんでも「変体がな」を読むチカラ=「和本リテラシー」が下がってきております。
「古典」を読める人がどんどんいなくなってきております。という、お話。


かくいうアタクシも、「古典」など教えている立場のニンゲンではございますが、
本日、提示された芭蕉自筆の『奥の細道』の草稿も、版本の文字も、おいそれと読むことは叶いませんわけで、
漱石自筆の『永日小品』中の「猫の墓」の冒頭部分は読めましたが、


「変体がな」の読解は、マスターしてもよいかも知れんと思った次第。


ちゅこって、午後については、講義の目標目的着地点が割合ハッキリ致しておりましたし、
「猫」の話が題材になっておりましたので(笑)、そこそこ面白うございました。


が、これで1日6千円は高い。高すぎ、高すぎ、高杉〜開発〜♪(ふるっ!)


この大学、珍しく、受講料は当日払い。6千円ちょうどを用意してこなかったこと詫びつつ、1万円差し出して支払う時、
受付の、大学の職員さんなのか、院生が手伝わされているのか知らないけれど、うら若きおねいさん、笑顔でお釣りを6千円くれようとしたので、
「お釣りは4千円ですよ〜」と、間違いを訂正してさしあげたのですが、


黙って6千円受け取ればよかったかも……(悪)。


あ、でも、楽しそうにしている人たち、いないでもなかったです。オバチャンたちですけど。
オバチャンといっても、この場にいる教員、今年54か44か34歳になる人限定なので、オレとおないか、オレより下の人たちですけど(笑)


でもって、誰とも話さないはずが、


かつての同僚がいたから、ひと言ふた言、コトバは交わしましたけど。
もうひとり知った顔おりましたが、名前も思い出しましたが、特に話しかけませんでしたけど。


まだ、こーゆーの4日もあるんだってさ。意味ないわー。マジ、やめて。


げっそり……。