最後の砦

つくづく、


高等学校「現代文」教科書に収められている文章の書き手さんたちの、


そのほとんど大多数が、


良識的かつ良心的で、知的であることに救われる。


筑摩書房「現代文B」所収の、


中井久夫戦争と平和についての観察』、この世のすべての人が読めばいいと思う。


でも、安倍晋三麻生太郎は、この文章を理解するだけの知性も、教養も、日本語読解能力をも持ち合わせていないに違いない。


教育現場における式典で、それを励行することを職務命令として強要するようになって久しい、国旗掲揚、起立しての国歌斉唱。


日本人なんだから、自分の国の旗や歌、愛して当然でしょ!という、教育現場への不信感を煽られくすぐられた一般庶民の後押しもあって、
最近は、この強制強要は、国公立大学にも、補助金の削減ちらつかせながら及んできている。


この動きが、


「人民のために国家が奉仕する」という民主国家のあり方を、「国家のために人が奉仕する」形へと変えたがっている連中の企みであることは、
わかってる者には、とうの昔からわかっていた。わかっていない者には、わかっていなかった。


小中、義務教育において、あれもこれもと、ただでさえ窮屈なカリキュラムの中、
必修科目として導入し、生徒個々の理解度を点数化し、評価の対象にもしようと目論んでいる「道徳」。


そこで行いたいことは、


幼少時から「お国のために奉仕する」ことの大切さ、「そのために私たちは生まれてきた」という考えを刷り込んでいくこと。
わかってる者には、とうの昔からわかっていた。
わかっていない者は、お上の言うことに従って、どのように授業を進めればいいのか、どう生徒を評価すればいいのか、真面目な顔して議論している。


作られつつある「道徳」の教科書、その中身が明らかになってきているけれど、


中には、高等学校「現代文」の教科書には、絶対に、確実に、取り上げられることのない、屑どもの書いた文章が並んでいる。
「道徳」を謳う教科書の中に、「良心」も「良識」も「知性」も「教養」も、何もない。


この国がそんな国になって行きつつあることを、ずいぶん前から、懸念していた者は少なくなかった。


でも、そういう者の声は、あの手この手で封じられ、表に出しづらくなってきている。
まともなことを言う者が割を食う時代になってしまった。


そんな流れを作ってきたのは、他でもない、この国の国民自身であるけれど、
いいかげん、目を覚ました方がいいのではないか?


オレは、こんな時代にあって、まだまともなことが書いてある「最後の砦」を使いながら、まともなことを考えようぜということ仕事にしているから、


そう簡単には黙らない。


戦前戦中、教え子を戦場に送ることを良しとしていた癖に、戦後になって掌返して平和や民主主義説き始めた、
恥ずかしい教師たちと同じようにはなりたくないですから。


さ。


でもって、歌唄いでもあり、ギター弾きでもありますから、音楽という羽根つけて、自由に飛んで回ることもやめません。


明日17日(金) NAMBA Mele
"モンビジ"、いつものふたりユニットで、


18日(土) 京都 夜想
"夜の水たまり"で、


19日(日) 十三 CLUB WATER
ドラマー・スラブさんを迎えた"モンビジDX"で、


そう簡単には黙らない(笑)