反戦を語れなくなる日

知性や教養というもの、ほんの欠片すら有することなく、
パラノイア的性情性行を隠すことのない輩をアタマに押し頂いている政党を、


政権党として祭り上げたことが、今日のこの日の訪れを招いたのであって、


先の総選挙の時に、こうなることが予想できたにも関わらず、
取りあえず、景気が良くなって欲しいからと、投票用紙に「自民党」と「自民党の党員」の名を記した多くの国民の、
或いは、政治のことはわからないから、関心がないからと、投票にも赴かなかった人たちのために、


いろんなこと考えていた者たちも、訪れたその結果を背負わなきゃならないという理不尽を前に、
「蛮行」が国家的決定事項として先に進んでいくのを眺めているのは、とてもじゃないが、心穏やかでいられない。


SNSやブログで、政治や思想について語ることはダサイらしいが、
旨いモン食ったことや、髪型変えたことや、キレイに化粧できた自分を自撮りして、披露したい気持ちはわからないではないけれど、


今日、旨いモノが食えているのも、キレイに化粧した自分にウットリできているのも、
戦後70年、どの国のどんな連中とも、殺し殺されることをしてこなかったからであるということをわかってないんじゃ、お話にならない。


中身がないんじゃ、器をいくら飾ったところで、美しくはない。
からっぽな人たちと、仲良しごっこ続けていても仕方がない。


誰が何を言おうが、正しいこと。間違っていないこと。単純なこと。
この国は、立憲主義に支えられてきた法治国家。最優先されるべきものは、我々ひとりひとりの「人権」。


今、揺らいでいるのは、その「人が先か、国が先か」という根本命題。


「人のために国家が奉仕する」という国家のあり方の基本が、民衆の幸福など度外視している、どうでもいいと思っている連中の手によって、
「キミたちは国のために働いて。働くだけ働いて死ぬ時は死んでね。うまくやれば美談として語り続けてあげるから」というあり方へと転換されようとしているということ。


ニンゲンというのが社会化してきた中で、近代化してきた中で、「人権」というのがイチバン大事なのです。


ということを強く固く謳っている「憲法」そのものを変更することが手続き上難しいのであれば、運用面で適当に変えてしまえばいーじゃん!


というのが、破廉恥な連中の考え。


そして、誰がなんと言おうが、そんなことは理想だと鼻で笑おうが、絶対的に正しいのは、


自衛だろうがなんだろうが、「正しい戦争」などどこにもない。ということ。



「正しい戦争」がないのなら、誰ともどことも戦わないに越したことはない。
この国の憲法は、それがGHQから押し付けられたものであろうがどうであろうが、誰とも、どことも戦わないことを、国是として謳っております。


それを、実情に合わない。などほざいているヤツは、ニンゲンとしての質が悪い。屑です。


かろうじて、幸いなことに、高等学校「現代文」の教科書にはまだ、各出版社とも屑どもの書いた文章は載っていません。
出版社と編集者の「良心」と「良識」がそこにあります。


屑どもの書いたものが、教科書に載るようになった時、


この国は、完全に、おしまい。


です。Death...


日々、いろんな圧力の働きを感じる昨今、


そんな日が来るのは、そう遠くないかも……。