No No No
セブンティーン&エイティーンの生徒さんたちと、
鴎外の『舞姫』、久方ぶりに読んでいるのですけれど、
この歳になっても思うのは、やはり、
一度は本気で惚れたであろう女の人生、台無しにしておきながら、何が国家か、このたわけ。
ということ。
洋の東西を問わず、時代の新旧を問わず、
己を殺して、「イエスマン」にならないと、なれないと、
いろんなことども、いろんな人々、踏みつけにしないと、立身出世というヤツ、叶わないようで、
そんなこと叶えて、どーすんの? え? どーすんの?
と、思う次第。
なのですが、この世には、それであっても、たいしたことのない立身出世なるものに向かって、
猪突猛進するヤツいるわけで、己を殺すまでもなく、生まれながらに「イエスマン」なヤツいるわけで、
『舞姫』の太田豊太郎は、猪突猛進するヤツでなかっただけ、
まだマーシーだったりするのかも知れんのですが、
現代においても、そーゆー政治屋や財界人がのさばってこの世を動かそうとしているのが、そもそもの間違い。昔から、なぁんにも変わっちゃいない。
オイラは、豊太郎ほどの神童秀才ではございませぬゆえ、独仏語はおろか、英語もままなりませんのですけれど、
「所動的器械的の人間」にだけはなるまい、というより、生まれ持った性情からして、そういう人間にはなれませぬゆえ、
くだらない連中の言うことは、己のアタマで考えて、くだらないと断ずる知力は持ち合わせておりますゆえ、
尻尾振り振り媚び売ることなど、できませんですゆえ、このような形で生きております。
他人様の「自由」を剥奪したり蹂躙するような「権力」やら「地位」など欲しくはねーです。
欲したところで、誰も与えてくれないだろーけどさ。
にしても、昨今は、自覚なき「イエスマン」が多くなってきたよーで、
そーゆー人々が、実は、イチバン、罪深い。 うくく。