崩壊感覚

時事ネタ。とゆーか、我が仕事ネタ。


新聞トップを飾っていた、「教頭になりたい人激減につき、対策を」の記事。
記事が謳っているのは、本府本市の小中のお話ですが、高等学校でも、状況はほとんど同じ。


記事に書いてあること、ほとんど正しいとはいえ、書いてないことございますので、実態を知っているだけに、
ご存じない外部の方々のために補足。とゆーか、あらずもがなの蛇足。


そも、「教頭」を含め、「管理職」とゆーものになりたい人、


1)権力欲が強い。
2)その権力欲の行き着く先は「学校長」なのでしょうけれど、「教頭」から「学校長」になる道筋が狭くなっている。
3)「教頭」になったところで、給与面で、目に見える実質的な「益」が少ない。


そして、年々歳々、


4)上から降りてくる、世にも「くだらないことども」に関して、「イエスマン」でなければ「管理職」は勤まらない。


という傾向が、強くなっている。


よって、


5)良心的かつマトモな感性の持ち主で、「権力欲」が強くないなら、「管理職」になろうとは思わない。


そういう流れの中で、


6)「管理職」は言うに及ばず、ヒラの「教員」になろうという者も少なくなっている。


「教育力の向上」など、勇ましいこと言っているその一方で、教育現場の教員の質は、低下の一途を辿っている。


で、現状、高等学校においては、


7)それでも「教頭」になりたい人、圧倒的に「体育科」の人に多い。
8)オイラもそうだが、「国語科」のニンゲンで「管理職」になりたい人は、その絶対数の多さに比して、圧倒的に少ない。
9)「美術科」の教員で「管理職」になった人、どこかにいるのでしょうけれど、教員生活30年目のオイラ、寡聞にして知らない。
10)でも、同じ「芸術」分野の教員でも、「音楽科」の教員で「管理職」になった人、その絶対数の少なさに比して、結構いる。
11)「家庭科」の教員は、さらに絶対数が少ないからか、「家庭的」だからか(汗)、「管理職」になった人を知らない。
12)「地歴」&「公民」の「社会科」の教員は、「管理職」になりたい人とそうでない人がハッキリ、二分する。
13)「数学」、「理科」、「英語」の教員は、節操がない。というか、何を考えているのかわからない人が多い(笑)


オイラはもう、「管理職」がどうとかいう年齢ではなくなっているのですけれど、
オイラのような、「アンチ・イエスマン」なニンゲンにも、かつては、「教頭試験受けないか?」と、打診した方もあったのですが、


ひとりのチカラで、「くだらないことども」と闘ってもどうしようもない。現場で闘う方がまだマシ。と、思っているオイラは、
「誰にそんなこと言ってんですか?あーはー」と、お返事致して参ったのでした。


たぶん、ではなく、間違いなく、


そういう構造が、教育の現場を、ダメにしております。このままだと、この国の公教育に未来はありません。
微力ながら、「くだらないことども」に対して現場で闘うだけ。


なのですが、


世間は、現場の生徒さんも、その保護者も含めて、そういう状況について、あまりに「無知」。というか「無関心」。
というか、「良心的」かつ「マトモな感性」を持って仕事している教員と、そうでもない「教員」の違いに気づいていないし、


むしろ、「良心的」かつ「マトモな感性」を持って仕事している教員を、
「アカ」だとか、「非国民」だとか、「日教」だとかいうレッテル貼って、侮ったり蔑んだり攻撃したりする傾向が強くなって来ております。


たとえばオイラは、「アカ」でも、「非国民」でもない、強いて言うなら「愛国の徒」で、「日教組」に加入していたことは一度もないのですけれども。


いい加減、良心的な教員の多くは、精神的に疲弊致しておりますです。やれやれ……。


反論承ります。