買わないオトコの論理

綿々と続いている「朝日新聞」バッシング。


従軍慰安婦問題に関する、かつての誤報と、それに対する訂正、謝罪(足りないという声もありますが)のあり方が、適切妥当なやり方だったとはボクも思わないのですけれど、


文化的知性に対するコンプレックスの固まりと呼んでも差し支えがないであろう現首相、目の敵にしている新聞を叩いて叩かせて、さぞや気分を良くしているのだろうけれど、


その現首相をプッシュアシストしているところの、文化的知性のかけらすらない某新聞は、社をあげて「便所の落書き」のような稚拙かつ破廉恥なコラムや、文化人の皮を被った呆け老人の書いた、おぞましくさえある人種差別的な文章を、得意げに掲載しているというおそまつ。


そして、従軍慰安婦問題について言うと、
「朝日」がその報道の核としたところの、「吉田証言」が事実無根であったというそのことを盾にして、
従軍慰安婦に、強制連行はなかった」ということにはならないにもかかわらず、
「なかった」こと、「日本は何も悪いことをしていない」ことにしたがる者が腐るほどたくさんいるということが問題だと思っております。


太平洋戦争に兵士として出征し、敗戦後、帰還復員した経験を持つ少なくない人々が、
プロとしての物書きを含めて、己の目で見た「従軍慰安婦」の実態を、多数、記述、叙述しているという事実までを否定することはできないと思うのですが、


そのことを知ってか知らずか(知らないなら馬鹿なのですけれど)、
それに触れることはせず、「吉田証言」は虚偽だった。よって、「強制連行」の事実はなかった。と、片付けたがっている。
アメリカの歴史教科書の記述記載にまで難癖付けて、「日本は何も悪くない」ことをアピールしたがっている。


そして、話の視点が少しずれるのですけれど、
先般、我が相方が立腹していたことと、この件は、根っこのところでリンクしていると思われるのでした。


アングラ、インディーズのバンドマンとして、音楽に関わっているボクたちですけれど、
ごくごく少数ではあるのですが、ライブ中、曲間のMCで「性風俗店」に関する話をしたがるオトコに出くわします。
どこそこの店がどうこうだった、とか、やっぱりプロはすごいぞ気持ちいいぞ、とか、どうとか、こうとか、
当の本人は、その手の話を明け透けに語ることが、おもしろいと思っているのだろう。或いは、武を語ることになるとでも思っているのだろう。


でも、そういう輩に限って、「性を鬻ぐ者」(ひさぐ=売る)に対して、敬意を払っているようでいながら、実は何の敬意も払っていない。
「性」に対する考えのないニンゲンであるということを自ら暴露している。
何よりも、女性にもいろいろあるとはいえ、そういうオトコを軽蔑嫌悪する女性がいるということへの想像力が欠如している。


買う者がいるから鬻ぐ者がいる。需要があるから供給され、その手の産業は成立する。
オトコという生き物がオレのようなヤツばかりなら、「性風俗店」は成立し得ない。


地方自治体の市長は、「どこの軍隊にも兵士のために慰安婦慰安所は必要だ」と公言して憚らなかった。
「必要悪」と言い切るのは簡単なのだけれど、オレには、たとえどんな状況下におかれていたとしても、「慰安婦」や「慰安所」は不必要だと思われる。
というか、不要である。


実は、「慰安婦」なるものは「不要」なのです。ないことが前提なのです。どんな形であれ、あってはならないものなのです。


という視点が、オトコたちの側にすっぽり欠落しているということ。それが、「慰安婦」や「慰安所」に関するそもそもの問題なのだと、ボクは思っております。


ボクは買いません。が、鬻ぐオンナたちを、ただちに侮蔑し軽んじる者でもありません。


世界中の女性のみなさん、あなたは、「買うオトコ」を、信頼できますか? 心から愛せますか?