ハイテク万歳?

放課後、


各教室に設置されたるところの「短焦点プロジェクター」なる逸品、
Wi-Fiで、スマホタブレット、ノートパソコンの画面を転送できることになったのですが、
「プロジェクター」のUSB端子に、Wi-Fi飛ばすためのアダプタを装着して、設定の確認をせにゃならんそうで。


任せられた方が、全29教室すべての設定をひとりでやるのは酷というもの。


だもんで、やらなきゃならん仕事がないとは言わないけれど、手伝います手伝いましょう。
と、放課後、気の良い人々数名と手分けして作業。


導入した方々は、使え使えと喧しいのですが、国語でも英語でも、熱心に使っている使用している人おいでなのですが、
当方、別にメカに弱いわけでなく、むしろ強い方なのですけれど、
実のところ、ボクは、積極的に使おうという気が起こらないので、使わないことには考えがあるので、日常的には使わない。


いわゆるひとつの「飛び道具」、視覚に訴えれば、確かに寝ぼけた連中の興味関心を喚起することは可能。
だけれど、それが常態化すれば、それはそれ、またそういう者どもの興味が失せるのも時間の問題。
大画面の液晶テレビ、導入当初は、「すげぇ」と思うが、慣れてしまえばどってことないのと同じ理屈。


そして、何より、


教科書というテキスト用いて、そこに書いてある文章読んで、「眼光紙背に徹する」くらい、そこに書いてあることの内容を理解し、それについて考えようということを腰据えて学ばせるのに、目の前にあるテキストの、紙の上に印刷された文字以上に大事なものはないわけで、


散漫な思考や意識を、散漫なんだよね仕方ないなぁと、あの手この手のサービスをすることは、結局、生徒らにとって、
プラスにはならないと思う。というか、確実にプラスにならない。


さらに、


教授者である教員も、「飛び道具」を使うことで生徒の興味関心を惹く方法に心砕くよりも、
黒板に己の手で書いた文字と、己の口で語った言葉とで、伝えるべきことを伝える腕を磨くことの方が遙かに重要だと思っている。


思っていても、副次的なプリント教材を使用したりせにゃならんのが悲しいけれど、本当は、そんなことさえしたくはない。
求心力や、時として若者の人生揺さぶるほどの破壊力を秘めていた自身の授業が、かつてほどの威力を失っていることが悲しいけれど、
それは、ボク自身のパワーが衰えたからではないことを知っているから、安易に走りたくはない。


ほぼすべての生徒が卒業後、四年制大学に進学する高校。紛うことなき「進学校」なのだけれど、
「自称進学校」と、自嘲なのか何なのか、自らの通っている学校のことをそう称する者もいる高校。
教師たちは、まるでここが学習困難校であるかのように、プリントや、毎度回収する宿題や、パソコンを詰め込んだ、スーパーの買い物かごを持って教室に出かける。


ボクは、教科書とチョークだけ持って軽やかに授業に臨みたい。それで響くような連中であって欲しい、なって欲しいと思っている。


が、どうやら理想からは、どんどん遠くなっていく。し、そんなことを、生徒も、そして教師も望んではいないらしい。


日々、パソコンやスマホを持参して教室に向かう教員のために、
パソコンもスマホも使わない教員が、放課後に各教室に配備されたハイテク機器の設定に回るという。
業者に支払う予算がないのか、教員の手で、電気屋さんの仕事までするという。


作業を終えて職員室に戻ると、いつも遅くまでいる人たちの他、もう誰も残っていなかった。


外は冷たい雨。