民主主義を殺したいのは誰?

イスラム国によって拉致され、身代金を要求されたふたりの邦人について、


僕が日々眺めているSNSやWeb Siteにおいて、


「自己責任」などようのコトバが飛び交うことはほとんどないのだけれど、
行くところに行けば、「自己責任論」や、揣摩憶測をさもそれが真実であるかのように吹聴する発言ばかりが並んでいることは知っている。
例えば、滅多に覗くことのない"mixi"ニュースに入るコメント欄などは、見るに堪えない状況になっていた。


憶測で物を言っても仕方がない。
配信された動画や静止画像がコラージュの可能性が高いということを、
自分はそれをすぐに見抜いたということを、鬼の首を取ったように訳知り顔に蕩々と語ることにも、
コラージュであったとして、それが拉致や殺害の事実が無根であることの証明にならない限りにおいて、
大きな意味はない。


わかっていることは、


政府は、拉致と身代金の請求があったということを遙か昔に知りながら、それを公にしてこなかったということ。
動画がネット配信されたことで、初めて我々国民がその事実を知ったということ。
結果はどうあれ、政府が「テロを断固として許さない」、「人命第一」を繰り返す以外に、拘束されたふたりを救うべき目に見える動きを、ほとんど何ひとつしてきた、しているようには見えないということ。
人質解放のためのキーパーソンとなりうるであろう人物の行動に公安が規制をかけた事実があるということ。


そして、あろうことかこういう状況の中で、


「こういう事態に対処すべく、自衛隊を派遣できるよう憲法を初めとする法改正をしなければならない」などようの発言が首相の口から出たということ。


米英が、その軍事力でもって、拉致拘束された者を救い出せた例があったかどうかを検証するまでもなく、
こういう、狂気とも思える発言をする者が、国家の舵を取っているという事実と、それを声を大にして批判しようとしない世論というものに、


震撼とさせられる。


この国は、民主主義の国家である。主権在民の国家である。


国民は、国家権力に奉仕するためにこの国に暮らしているのではない。
国民の権利と自由と、安全な生活を保障するために、国家が国民のために奉仕するというシステムが、


民主主義であり、主権在民の本質である。


国民のほんの数パーセントの者どもの利益のために、多くの国民の権利や自由や平等や安全をないがしろにする者が、この国の舵を取っている。
そして、そういう者どもを、それが、民主主義を自ら放棄することに繋がることを知ってか知らずか、「自己責任」を蕩々と語る人々が支持している。


この国は、民主主義の国家である。主権在民の国家である。


いつまでそうであるかわからないが、今のところは、まだ……。