帝王は賊なりりん
以前にも何度か書いておりますが、
高校の頃、「歴史」の授業というのが、「世界史」にしても「日本史」にしても嫌いでして、
当初、理系のつもりでいたので、別に些末な「歴史」のあれこれなど記憶致さなくても進路には影響しませんやと思っていたのですけれど、
文系に舵を切り直して、身を入れて勉強しなかった中高6年間のツケを浪人の1年間で払うとなると、
「歴史」にまでは手が回りませず、手を回す気が起こりませず、
共通一次(そういう世代なんだな)は、「政経」&「倫理」という、特に勉強致さなくてもそこそこ点数が頂戴できる科目でお茶を濁したものの、
私立大の受験は「数学」で致すことになったわけで、特に、数学が得意というわけでもなく、むしろ避けて通ってきておりましたので、難渋致しましたから、
現在ただ今の受験生諸兄姉におかれましては、とりわけ文系大学進学を考えている人たちは、
妙なこと考えず、「歴史」のお勉強も致しておいた方がよろしいですよ。と、思うのですが、
「歴史」の何が嫌いだったかというと、
教科書に名前が出てくる人々と言えば、どいつもこいつも、権力欲と出世欲と名誉欲にまみれた、「下衆」なヤツらばかり。
そこには、愚かしい人間の営みがただ綿々と綴られているばかり。
何が悲しゅうて、こんな「下衆」どもの営みを、重箱の隅をつつくようにして覚えなきゃならんのか?
と、思ったからであって、
そういう思いは、いい歳になった今でも根っこのところで変わっていないわけで、
けだし、この世はくだらない。
「歴史」を学び、「歴史」から学ぶことで、今のこの世がちょいとでも良くなればとは思うのですけれど、
人の営みというもの、古代からほとんどなーんも変わっちゃいないわけで、
けだし、人間はくだらない。
と、思いながら、この人間世界で人間として鬱々と生きているオイラですが、
「漢文」の授業で扱っているテキストの中に、「帝王は賊なり」と題された一文があって、
17世紀の中国の人ですが、
夏殷周の三大王朝以降、天下を保つに善であったものは漢であります。
しかし、その漢の高帝(劉邦)にしたところで、城陽を屠り、潁陽を屠っている。
もし高帝に仕えていたとして、高帝が城陽を落としその地の人々を皆殺しにしたそれその時に、私は痛哭し、彼の元を離れたでありましょう。
このような者の臣下であることに、私は耐えられないから……。
と、書いている。
あー、17世紀の中国にも、21世紀のオイラとおんなじようなこと考えてた人がいたのでありますね。
と、思って、なんだか妙に親近感が湧いたのでした。
生徒らにそういうこと話したのですけれど、
漢文を読むことそのものに関心がない者は元より無反応だし、
そうでない連中からも、おかしなこと言う人だなぁ、という気配しか感じられませんでした。
のにゃ……。