出さない声は聞こえない
国家政府は、国民の意思により設立され運営される。
国家政府は、国民の自由と平等と基本的人権を守るため、国民に奉仕する役を担っている。
そのことを謳っている「憲法」が、正式な手続きを経ることなく、一部勢力の解釈改憲というまやかしによって、蹂躙され踏みにじられようとしている。
国家が国民に奉仕するという国から、国民が国家のために奉仕するという、
国家のために、国民はその命を捧げてくださいねという、
忌まわしい歴史を刻んできた体制へと揺り戻そうとしている。
この国の、大きなターニングポイント、どれだけ大袈裟に言っても誇張ではないくらいのターニングポイント。
にもかかわらず、この情報化の社会にあって、
自身と、自身の周囲周辺のことにしか興味関心のない人々の、何と多いことか。
オトナたちの多くも似たようなものなのかも知れないけれど、
とりわけ、年若い連中のつぶやきを見るにつけ、そのあまりの危機意識のなさに茫然とする唖然とする。
悲しくなるので、目に入らぬようにし始めている。
僕のtwitterアカウントのフォロー数が減っているのは、
互いに啓蒙し合おうという努力に、徒労感や疲労感や絶望感が上回ってしまったその結果です。
あしからず。