靴下に自由を

名ばかりの、本当に名ばかりの2学期制ですけれど、


2学期制なので、「終業式」というのはございませず、昨日の「全校集会」でお茶を濁した我が職場。
生徒らは冬休みに突入したのでありますが、センター試験前にしてテンパッている3年生や、「ブラック企業」のように週休ほとんどない状態で「部活動」に勤しんでいる1&2年生も多いので、冬休みの職場も、そこそこ賑やかではございますのですが、


かつては、熱血部活教師以外は、生徒の休みと共に、休んでいたものだが、


年内に片付けにゃならん仕事、数々あるので、やっちまうべ。と、日がな一日PCに向かってキーボード叩く。
一日にひとつずつ片付けるつもりが、一気にふたつも片付けてやった。


ら、くたびれた。


右肩上がりを欲する世の中にあって、


そもそも、公教育の現場にあって、何の右肩を上げるのかが疑問な中、この業界にも右肩上がりを欲してやまない人、やまないばかりか他人様にそれを強要する人らがあって、そういう人たちの意向を受けて、何か新しいことやらねば評価されない。評価されたい。
と、思う人らが、本当に必要なことなのか、実態に合っていることなのか、意味のあることなのかを熟慮せず、場当たり的に導入するだけ導入したがって、あれやこれらを盛るだけ盛って、一度盛ったものを削ることはしないから、


教育現場の仕事は増える一方なのだけれど、それに対して「おかしいでしょ?」と、異を唱える者は割を食うというシステムもまた同時に構築され、強固になって行きつつあったり致しますので、公然と「おかしいでしょ?」と言う者が少なくなる。
あーせいこーせいと小うるさく指示指図される教育によって飼い慣らされてきた世間知らずの若者層にあっては、「おかしいでしょ?」とすら思わぬ者が増えている。


だもんで、教育の現場の迷走は留まるところを知らない。


そもそも、「教育はサービスだ」とか、「ニーズに応える必要が」などようのことを、現場の者自身が口にし始めた頃が過渡期だったのだが、それは、バブルが崩壊した1991年頃。


自由より金が大事と思いたい社会。金があれば自由が買えると思っている世の中。
裏を返せば、金がない者には自由が与えられない世の中。


このまま行くと、金もなければ自由もないという人が、そこらじゅうに溢れますぜ。


効率良く「知識」をインプットする方法よりも、「知性」を磨く方法の方が大事だと思うのだった。


サンタさん、金はそこそこでいーから、自由をくれろ。


じんぐるべじんぐるべ喉が鳴る……。