倚りかからない巻かれない

今は昔、


保護者との懇談時、とある母親が、
「先生はよく、"長いものに巻かれるな"と仰るようですが、ウチでは息子に"長いものには巻かれなさい"と教えています」
と、言ったことを覚えている。


その母親とその息子が、今どこで何をしているのか、寡聞にして知らない。
が、高校時代の彼が、誰かのために自分から何かをするということのついぞなかった男であったことは覚えている。


今でも、"長いものに巻かれ"ながら、波風立てず、当たり障りのないように、無難に生きているのかしらん?


でも、


"長いもの"が、弱いものを庇護する大きな包容力に満ちた存在であるとは限りませず、
寧ろ、"長いもの"は往々にして、少数者をないがしろにし、弱者を傷つけ損なうものであることを知っているならば、


"長いものに巻かれ"る生き方というのは、
人生の時間を自己保身に汲々としながら、自分以外の誰かを、深く傷つけ損ない続ける生き方だということに気付くはず。


オイラは、確信を持って、


長いものには巻かれません。倚りかかりません。


原発」にも反対だし、「改憲」にも反対だし、「特定秘密保護法案」にも反対だし、「愛国心」の押し付けにも反対だし………、


波風も立てるし、当たったり障ったりもするだろーさ。 無難って何?