瀕死の民主主義
先日報道された、新生児取り違え賠償責任裁判の話、
現在60歳になる男性は、病院で別の新生児と取り違えられた結果、実の親ではない家庭に育った。
2歳時に父親が死去。育ての母は生活保護を受けつつ、男性を含む3人の子を育てた。
6畳のアパートで家電製品一つない生活だったが、母親は末っ子の彼をかわいがったという。
が、貧困の中、男性は、中学卒業と同時に町工場に就職。自費で定時制の工業高校に通った。現在、彼はトラック運転手として働いている。
そして、取り違えられたもう一方の新生児は、4人兄弟の「長男」として育ち、不動産会社を経営。実の弟3人も大学卒業後、上場企業に就職している。
生まれ持った資質がないとは言わない。が、生活環境は確実に人生を左右する……。
「格差」の拡大が叫ばれる今、
国公立大学の入学金28万2千円、年間授業料53万5千8百円。
私立大学の年間授業料、文系で平均115万円、理系で149万円、医歯系で480万円。
ボクが学生だった当時、国立大の入学金は10万円、授業料は18万円。
授業料の納入は半期ずつ。経済事情を届け出て、毎回ほぼ半額免除。時には全額免除になっていた。
現行、免除制度が各大学でどのように運用されているのか詳しいことはわからぬが、
今のこの国で、同じ家庭に育っていたら、ボクは恐らく大学には行けていなかっただろうと思う。
ならば、当然、今就いている仕事はしていない、できていない。
勿論、大学に行かなければ幸せになれないとは思わない。
けれど、進学したくてもできないという状況、環境を作り上げておきながら、
法の下の平等や、職業選択の自由を謳うのは、詐欺以外の何ものでもないと思う。
今日、この国の政権党は、
この国を、金持ちのための金持ちの国にするために、
既得権益を有している者や、グローバルの名の下に金儲けをする者のために、
基本的人権と民主主義をないがしろにする情けない法律を、「民意」の名の下に成立させた。
「格差」を縮める気などさらさらなく、持たざる者を持てる者の幸せのために奉仕させる国にするために。
「国民主権」と「民主主義」を死なせてはいけない。
まだ遅くはない。と、思いたい。