これも今は昔

大学時代、生活していた仙台


住民登録されている人口と、実際にその街に生活居住している人間の数が相当に違うというのは夙に有名だった。


家族を置いて単身赴任で支社勤務をしている通称「仙チョン族(仙台チョンガー族)」が多く、
彼らの多くは住民票を自身の家族のいる街に残したままであるから。


そして、


住民票を実家に残したまま、独居生活で大学生活を送っている者もまた多いから。


と、言われていた。


実家はあったが、常識として仙台に住民票を移して暮らしていたオレからすると、妙な話だと思ったのだけれど、
実際、「仙チョン族」のことはいざ知らず、多くの学生が住民票を実家に残したまま、生活していることを知って驚いた。


そういう後輩のひとりに「なんで?」と尋ねると、
彼は、「親から、選挙の時に戻って来るよう言われているから」と答えた。
「選挙って誰に入れるか、親に支持指図されるわけ?でもって、親の言う通りに投票するわけ?」と尋ねると、


彼は、口を濁した。


そんな彼は、東北地方の、更に地方出身の地主家主の息子であった。
太宰なら、金持ちに生まれて恥ずかしいと思うだろうにという感じであった。


政治というのは、村会議員、町会議員、市会議員、県会議員、そして果ては国会議員に至るまで、
それぞれの土地で、既得権益を有している者どものコトバを聞いて、既得権益を有する者の利益を守るために、日々動いているのであるなぁ。


と、実感した。痛感した。


ウチの大学ではなかったけれど、あちこちで、
取りあえず大学を卒業したら、地元の役所への就職が決まったも同然と公言して憚らぬ者たちの話を良く耳にした。
大学で免許さえ取れば、地元の中学校に勤務できることが決まっていると広言して憚らぬ者たちの声も良く耳にした。


そして、そういう者たちは、驚いたことに、全員、その言葉通り、地元の役所や学校に勤めることになっていた。


地方というのは、そういう社会構造を有していた。
たぶん、現在でも、かなりの部分で、そういう社会構造を有しているのだろうと想像される。


都会であっても、オレ自身、
学区でトップといわれる前々任校に着任した当初、
「誰とお知り合い?誰に頼んでこちらに?」と、うるさいくらいに多くの教員から尋ねられた。
「オレは、知り合いなんていねーし、誰にも何にも頼んでねーですが」と答えると、みな、不思議そうな顔になった。


「公務員改革」というなら、まずそこからだろう、
と、ツテもコネも何にもないところから、公教育の現場で教員になったオレは思う。


都市部は、オレみたいなのがそんなことを言われる場所で生きているのだから、まだマシなのだろうと思う。


山本太郎氏が、反原発脱原発、その一点を主張して東京選挙区で当選したことを、
地方都市、ひいては原発村を抱えている村や地方自治体のことを視野に入れていない。
と、批判している者がいる。


確かに、原発を実際に抱えている地区で出馬していれば、彼は当選していなかったかも知れない。
でも、反原発脱原発は、それを抱えている村や町のことを視野に入れず語られているわけではない。


原発脱原発は、それを抱えている村や町のことを考えているからこその反原発脱原発なのだ。


それに替わる産業や資本の投下についてのビジョンもなしに、反原発脱原発を語るな。
という者こそが、お為ごかしに原発を地方都市に押し付けてきたのである。


また、


地方都市に暮らす、既得権益を守りたい、放すものか、という者どもが、
既存の政党政策が、別のものに取って代わられることをこの上なく恐れていることは想像に難くない。


既得権益なるものを持っていない者の多くも、改憲論がいかなる含みを持っているのかということにはまるで関心がなく、
対外関係関連についての不安を日々煽られ、怒りをかき立てられ、産業振興や景気回復などようの世迷い言に「強い日本」、
簡単に言うなら、自分たちの元にも潤沢にお金が回ってくる「豊かな日本」を夢想しながら、


村社会の中で、
自分たちに、いや、自分に、便宜を図ってくれそうな、口利きのできそうな、強そうな者、権力を恣にできそうな者や、
その者が尻尾を振って付き従っている者どもに、票を投じる。


角栄のおかげで新潟はいい目を見た。と、思っている。
自分たちのところにいい目を見させてくれるのは誰だろう?と、考えている。


その結果が、各都道府県の当選者名簿なんだろな、と思った。


あー、くだらない。


更に、


「ねじれ国会」の解消など言っているけれど、


衆参両議院が存在しているのは、妙な法案、まずい法案をすんなり通してしまわないための制度。
「ねじれ」て頂いて多いに結構なのであります。「ねじれ」上等なのであります。


それを、「ねじれ国会」がさも悪しきことであるかのように喧伝してきたマスコミ。
オレはテレビを見ないのだが、新聞読んでるだけでも相当酷い。
みな、政治屋さんたちと、「ぐる」なのかと勘ぐりたくなる……。


取りあえず、


当選しても「バンザイ」しなかった山本太郎氏、その一点だけで、デキたオトコである。
阿呆のように支援者と一緒に万歳三唱して、ダルマの目に墨入れてるような輩をオレは信用しない。


オレは彼に一票を投じることはできなかったが、できても彼を選択したかどうかはわからないが、
彼の当選は、今回の選挙におけるひとつの「良心」の現れだと思いたい。


「ねじれ」ないで真っ直ぐにおかしな方向へ突き進んで行こうとすることにはブレーキが必要。


アクセルを踏みたがるヤツを、どこへ向かってアクセルを踏もうとしているのかもわからずに応援するヤツが多すぎる。
ひとりきりでブレーキをかけるのは、途方もなく摩耗摩滅するだろう……。


選挙は終わったけれど、


オレは政治屋ではなくヒラの高校教師にして名もなきバンドマンですけんど、


これからも、ブレーキ踏むつもり。