教養と文化

決して自慢ではないので、誤解のなきよう。


と、前置きをした上で、


オイラは、その頃自身がよくわかっていなかったことを恥じているのだが、
かなりビンボーな、今でいうところの「格差社会」で分類すれば、かなり底辺に属する、
両親中卒、ブルーカラーの家庭に生まれた一粒種にして、
なぜだか、そこそこ勉強ができたものだから、ビンボーなのに調子こいた親が無理して唆すものだから、
中高一貫のそこそこ名のある進学校に進学して、


そこで、


同じ十代と言っても、生まれや育ちにデカイ差のあることを実感、というか痛感させられて、
居心地頗る悪い中、途中離脱、何度しようと思ったかわからない中、
なんだかんだで、途中離脱する勇気も根性もないままに、
その場所で、この上なくくだらない教師から劣等生のレッテル貼られて六年の歳月を過ごした後、


親不孝にも、一年の浪人を経て、いわゆるひとつの旧帝大に潜り込んで、
そこを、ほとんどまともに通いもせず、まともに学問に打ち込むこともせず、それでいて卒業してしまうという、
インチキな学生生活を経て、


いわゆるひとつの「でもしか」で、今の仕事に就いて、
それがオイラの本当にやりたかったこととは思わない思えない中で、
これもまたズルズルと、今に至っているインチキ野郎なのだけれど、


ま、インチキな割には、仕事については真摯に向かってきたと、自負しているのではあるけれど、


そんな、かなり珍しい出自経歴ゆえ、


高校の同級生は、その多くが旧帝大卒の一部上場企業で、現在は管理職。
大学時代の知人もまた言うに及ばず……、


なのだが、


Facebookで繋がろうとも繋がりたいとも思わなかったのに繋がることになった複数の彼ら、


面白いように、日々、どこで何を食った、誰と会った、何を買った。と言うだけで、


見事なまでに、ほとんどの者が今回の選挙のことは話題にしない。
原発を語る者もまた見事なまでにいない。
改憲に関することを語る者も同様にまた、いない……。


で、オイラは、


進学校卒、旧帝大卒で、経歴エリートですが、実態は、給与水準・教育方針劣悪な一地方の教育コームイン。


そして、その職業柄、


どこかの誰かさんと違って、採用試験の際に議員さんに口聞いてもらうことも、
お上品な学校ばかりに勤務できるよう、裏で立ち回ったりすることも致しませんでしたので、


オイラが生まれ育った家庭など、ものともせぬような、
複雑かつ、場合によっては劣悪な環境に生まれ育って来た若者を前に仕事してきた数年もあって、


格差社会」と言われるものの正体を、かなりのところで見聞きし理解していると思われ、
それが、そのままで良いとはとても思えないまま、今を生きているので、


このネット社会、個人が世界に向けて己の思いを発信できる時代にあって、


裕福な家に生まれ育った恵まれた人々が、政治や社会について何を語るわけでもなく、
一方で、恵まれない生育生活環境にあった人々は、政治や社会について語ることはおろか、
日々、「死ね」や「殺す」などようのコトバを世界中に撒き散らしながら、
現実に、「傷つけたり」、「傷つけられたり」、果ては、「殺したり」、「殺されたり」していることを、


とても悲しいことだと思っております。


旧帝大出てるような、世間からエリートと目されるようなニンゲンなら、
己と己の周囲の損得や快楽だけに関心払うのではなく、


世の中の矛盾に、そのキレるアタマを悩ませてはいかがか? そして、その思いを社会に還元してはいかがか?
直接還元できないまでも、思いを発信することくらいしてはいかがか?
自分には関係のないことと思わぬ、想像力くらいは持ち続けてはいかがか?


と、思う。


そして、


恵まれない生育生活環境にあった人々が、世の中や社会の有り様に眼を向けるよう、
恵まれない人々を切り捨ててかかることを考えている連中の口車に乗せられないようにすることが、


「教育力」というものだと思う。


のだけれど、「教育」にあれこれ口を挟みたがるのは、
悲しいかな、己の既得権御大切で、己と己の周囲の損得や快楽にばかり目を向けるエリートたちなのであって、


戦後教育の現場に息づいていたささやかな「良心」というものも、
「アカ」だとか「売国奴」などのレッテル貼りつけて、潰すことに躍起になってる連中がいる。
そして、確実に着実に、潰されている。


潰された場所では、「良心」のカケラをなくした、或いは元々そういうものを持ち合わせていない「似非エリート」が、
「エリート」を作ろうと躍起になっている。それが目の前にいる若者の幸せであり、自身にとっての幸せだと思っている。


たとえそれが押し付けられたものであっても、「戦争をしない」と謳っている現行の憲法をオイラは支持します。
「ニンゲンはすべて平等」だと謳っている憲法を、それがたとえ理想であれ、オイラは支持します。
あなたはこの国のニンゲンなのだから、国家の言うことには何も考えず従いなさいという権力をオイラは支持しません。
大多数(実は少数)の者の幸福のために、犠牲になる者がいるのは仕方がないという考えをオイラは支持しません。


「教養人」とか「文化人」なら、そう思うんじゃないかい?


そういう根元的な「良心」というものを、「文化」とか「芸術」というものを通してオイラは学んだつもりなんだけど、
そんな「良心」というものを伝えるべく、オイラは仕事してるんですが、


間違ってますか?