便利という名の不自由

わが職場、


いわゆるひとつの定期考査中。


楽しい土日も生徒にとっては、「勉強しろよ〜!」な土日。なのであって、


流石のオイラも高校生だった頃は、考査中だけは、
「だけは」に妙に力が入っているけれど、勉強のよーなものをしておりましたので、


いやだなぁ……感は、理解できるのではありますが、


昔と今と、情報通信関係関連、ひいてはそれに基づく人間関係、
まーったく、ぜーんぜん、何から何まで異なるのでありまして、


当時は、今、どこで誰が何をしているとか、自身が何をしているとか、知ることもなければ、公開する術もなく、


流石に、電話ちゅのはあったが、それは住みかに付随しているモノであって、自身の所有しているところのモノではなく、
可及的速やかに連絡せねばならんという必要必然のある時にしか使用するものではなく、


どこで誰が何をしているのかしていないのか、寝ているのか寝ていないのか、どのような勉強しているのかしていないのか、
などようのことを知る由もなく、


オトコばっかのガッコで、誰が今どこで何をしているかなど、知りたくもなく、(笑)


ひとり孤独の中で悶々としながら、カフェインの錠剤嚥下して一夜漬け、的外れの勉強していたわけなのだが、


昨今は、


twitterやらLINEやらで、


今、自身が何をしているのかを詳らか(つまびらか)にしてみたり、誰がどこで何をしているのかチェックしてみたり、
勉強に倦んだら行き詰まったら、同じ穴の狢であるどこかの誰かと、レスの応酬やらチャットやらしてみたり……、


勉強に向かおうとするその気概気合いをスポイルするものが、手元に握りしめられている。


だけんどもしかし、その勉強の支障となるモノは、京大入試カンニング事件の例を持ち出すまでもなく、
今、自身が直面し、頭を悩ませている勉強についてのあれこれの答えを与えてくれるアイテムでもあるわけで、


教科科目にもよるが、大抵のバヤイ、ネット上に、
例題や、解答や、解説の類、ごろごろ転がっているわけで、


それを利用しない手はない。


と、オレなどは思うのであるけれど、


多くの青少年少女たちは、自身の持っているアイテムをそういうことにはほとんど利用せず、
誰が何をしているかのチェックをし、交流を温めるためだけにそのアイテムを用いて、


結句、


勉強でけへんかった……。と、嘆いているように思われる。


ひとりで過ごす時間、自分のことを自分で見つめる時間、そういう時間が人を育てる。
そういう時間をうまく過ごしているヤツでなきゃ、何か特別なことはできんのだろね。


今、ここにいるオイラは、


ひとりで本を読み、ひとりで音楽を聴き、ひとりで映画を観ていたところからできているところが多いわけで、


別に、何か特別なことができているわけでもないとはいえ、


オイラが今、高校生だったら、今のオイラにすらなれていたかどうか、自信なし……。
この歳になってまだ、人前で音楽やらかそうというよーなヤツになっていたかどうかも、自信なし……。


ちゅことで、


生徒たち、勉強しているふりして勉強していなかったりする中、オイラは明晩、7月一発目のライブ。久々にライブ。


新曲、いつどこでやらかすか……、


明日の共演は、未知の、若いバンドばかりのよーだし、
と言って、こちとら、対バンさんのためだけに演奏しているわけでなし、


デカめのハコでデカイ音でやらかすのがいいのか、
こぢんまりしたハコで地味にやらかすのがいいのか、
ちいさいけれどデカイ音のハコでやらかすのがいいのか、


思案中……。