補習って何?

二年目の現職場、


いちおー、


とゆーか、


確実に、


進学校」なんだけど、


宿題宿題!、提出提出!、で、生徒らを追いまくる教科あり。


追いまくられながら、与えられた課題をこなすことに付いて来られなくなりつつある生徒、


目立ってきた……。


そもそも、


「いついつまでにこれこれの課題を耳を揃えて提出せよ!」なんちゅこと強要しつつ、勉強に追い込むというのは、
疑いなく、間違いなく、真の意味における「進学校」ではございません。


たとえ僅かばかりの難関校への進学者数が増えたとしても、そんなやり方やり口をもって生徒を追い込んでいるガッコは、
真の意味における「進学校」ではございません。


なぜならば、


やらされた勉強、強要された勉強をこなして来たことで、見かけの結果を出したとしても、
そういう者には、能動的な意志や分析力や創造力が宿る余地がございません。
そういう者を数多く輩出したとしても、それはその者自身のためにも、ひいては周囲のためにもならないから。


そういう者を、アンタのことや!と言える人を、数多く知っております。


オイラはかつて、中高と「進学校」といわれる場所に通っておりましたが、
「○○を提出せよ!」なんちゅことは、ほとんどござらなんだと記憶しております。
ノート提出?課題提出?なんですかそれ?ノートを取ろうが取るまいが、勉強の仕方やり方はオレたちの自由じゃん。
と、生徒も思っていたし、教師も思っていました。というか、中にはそんなことすらあまり考えていなかった教師も多かった。
生徒がやるべきことをやっているかどうかは、テストという評価システムで確認されていた。


教師は、授業をし、テストを拵えて、採点するだけの存在。補習やら補講、そんなものは一切ありませなんだ。
当初から決められている時間割に従って授業をするだけ。That's All...


世界史担当の教師は、教科書の内容をすべて教えることなどハナから眼中になく、
ひとつの学期をまるまる、自身が強く関心を寄せているギリシャアテネのことだけ語り続けておりました。
歴史嫌いのオイラは、真面目な生徒じゃなかったから、ハッキリ覚えていないけれど、
授業は、第2次世界大戦まで行かなかったんじゃないかな?


それでも、それで大学受験に支障が出るなどようの不平不満を述べる生徒は、ましてや保護者は、ただのひとりもいなかった。


勿論、


中には、聞くに耐えない授業しかできない教師もいたし、授業のスキルは別にしても、人権感覚の欠如した腐った教師もいたから、
それに対する「不平」や「不満」は抱いていたし、オレ個人で言えば、腐った教師については直接「反発」もし、「抗議」もしていたけれど、


「授業」というのは己が勉強するための「契機」、「入口」であって、「すべて」ではないと思っていた。


進学指導、なんてものも、してもらった記憶がない。


自分が何をやりたいか、やろうと思うか、思ったことを学ぶにはどこに行けばいいのか、
それは、学校から与えられたほんのわずかな情報を元に、自分で調べ、考えた。
国公立大学は元より、私立大学も、オープン・キャンパスなんちゅことやって、積極的に人集めをする時代でもなかった。


講習はしてくれないんですか? 補講はないんですか?
大学の進路についての情報は、どんな形でどうおろして頂けるんですか? 保護者としても知りたいんですが?


などようのことをいう保護者もいなかった。大学の入学式にくっついていく親など誰ひとりとしていなかった。


どこまでコドモのことが好きなのか、コドモのことを構いたいのか、どこまでどれだけコドモの親でいたいのか、


昨今は、そんな声に応えるべく、


本校は、これこれこういう課題を与え、講習・補習などを実施しながら、皆さんの進路を保証しますアシストしています。
つきましては、夏期講習のスケジュールは、これそれどれこれ……。保護者向けの説明会を、あれこれどれそれ……。


学校は、とりわけ高等学校は、
教員というニンゲンが、それぞれの専門としている教科を、授業の中で生徒らに教え伝える場所。
授業でそれを聞いた生徒が、自身が何に興味関心があり、適正があり、この先、何を学びたいのかを見出し、
自分自身で学ぶことを覚えていく中で、自身がどう生きるのかを、そして、死んでいくのかを考える場所。


なんだけど、


過剰に与えられる情報が、何がどう自分に必要なのかを考える余裕も与えられず、
わけもわからず与えられる宿題や課題の山に埋もれてうんうん言いながら、途方に暮れながら、
それでも、与えられたものはこなさなければ取り残されてしまうという強迫観念の中で、


右往左往している生徒たちが、ちょっと可哀想。


オイラはできることは授業の中でやりますんで。補習や講習は、極力やりませんので。


だから、授業を聞いてないヤツのことは知らんよ。


でもって、


ホントは、ちまちまとテストなどしたくないのだけれど、
悲しいかなニンゲンってやつは、テストがないと学ぼうとしない生き物なので、やりますが、


漢字の読み書きくらいは、せめて自分で学んでけろよん。
テストがあっても、やらない人がいますが、少なからずいますが、もうそれは「悲しいかなニンゲン」ってヤツも凌駕しているので、その責任は自分で取るように。


要は、


生徒は、「やらされてるからやる」んじゃなくて、「やりたいことをやる」で、
教師は、「やらせる」じゃなくて、「やらなきゃならんことを見つけさせる」で、行きたいなぁというお話。


授業と定期考査と長期休暇中の宿題だけを与えて3年間過ごさせたら、生徒たちが卒業していく時にどうなるのか、


見てみたいと、思ったりするんだが、やってみる気があるのはオレくらい。なんだろーな……。


あ〜は〜。