後進ハイスクール

実習生、2週目に突入。


いろんな教員の、いろんな授業を見学しているうち、
導入のやり方やら、雑談の展開の仕方やら、いろんなことに影響されて、いいとこ取りしようとして、
逆に取っ散らかったりしながら、在学する大学のセンセが見学に来たりなどして、「研究授業」というヤツ。


「古文」の授業、
今だから、用言の活用やら、助動詞の意味用法活用接続やら、当たり前の顔をして教授致しておりますけれども、


独仏語はおろか、英語もままならないへっぽこ哲学科の学生にして、物見遊山で教育実習に行ったオレ、
任されたのは「現代文」の授業だけだった。


「現代文」の授業こそ、その時の現場にいた教師より、オレの方が達者じゃん。と、思ったけれど、
「古文」の授業やらされてたら、ヤバかったと思う。ヤバかったんじゃないかな……。


それを思えば、


専攻が言語学とはいえ、恐らくは大学受験以来この方、顧みることはなかったであろう古語文法を、
それなりに理解して、奮闘努力して教えている姿というのは、


立派である。


ま、オイラのバヤイ、物見遊山で行った教育実習がそこそこ面白かったものだから、
下手にこの道に分け入ってしまったわけですけんども、


当初からこの道を目指して、実習にやって来るという若者の志というのが奈辺にあるのか、
オイラにはわかっているようでわからないのであるのですけんども、


自身が通っていた学校が、唯一の高校の姿形であると思わないこと。
この道に分け入って、自身が仕事をすることになる場所は、自身の知っている高校のような場所だけではないということ。


そのことを理解しないでこの道に分け入ってしまうと、


フレキシブルな精神と、環境適応能力と、身体的タフネスと、適度ないい加減さを有していないと、
後々、自らも、そして周囲もまた、不幸なことになりますゆえ、ご注意をば。


そして、


それだけの能力資質を持ち合わせなければ勤まらぬ専門職でありながら、
社会的な地位も、給与も、恐ろしいほど低く、風当たりだけがますます強くなっている、この仕事。


とりわけ本府においては、加速度的に「ブラック企業化」が進行致しておりますゆえ、


オススメしないんだけどなぁ……。