ナショナリズムという迷宮
一昨日、ライブのMCでくっちゃべったこと、
おとといのライブは休日だった。朝から家にいた。
でも、夕刻にリハ、夜にライブを控えている身としては、休日とはいえ、昼間に何かまとまったことをやろうと思っても、なかなかそういうわけには参らない。
だもんで、
ここはひとつ、滅多に見ないテレビでも観ようと思った。
なんとなれば、
"WBC"の決勝が行われるということを知っていたからである。
オイラはインドア派ではあるけれど、元野球少年、野球好きだからである。
だもんで、新聞のテレビ欄を見た。正確に言うと、相方が新聞読んでいたので、見てもらった。
ところ、
相方は「ないよ……」と言う。
そんなはずはないのだがオレの勘違いか? 実は明日だったか?
と、その時は思ったが、
自分で新聞ひっくり返したら、決勝戦は紛うことなくその日だった。生放送はなく、深夜に録画で流されるのだった。
想像はできるが、
どうやら、この国の人々は、「日本」が負けたあとの"WBC"には何の関心もないのであった。
要するに「野球」が好きなのではなく、「日本」が勝利するのを見たかっただけなのであった。
もっと言えば、"WBC"そのものに興味のある人も少なかった。
ということは、この地で行われた試合を流すテレビ画面に映し出された観客席の様子からも、それは明らかではあった。
要は、TV局が積極的に生で放送しようとするだけの要素が、「ドミニカ共和国 VS プエルトリコ」の一戦にはなかったのであった。
きっと、
今年の"WBC"の決勝戦が、「どこ VS どこ」で、結果、どこが勝利したのかも、この国の人々には記憶に残らぬまま過ぎ去っていくのだろうと思われた。
そりゃ、ドミニカ共和国やプエルトリコに知り合いがいる人は少ないと思うよ。
でも、"WBC"の日本代表選手に知り合いのいる人だってそういるわけじゃないでしょ?
そこがナショナリズムってヤツの不思議。
ちなみに、オレはドミニカ出身の人に知ってる人いますけど、それが決勝戦を見たいと思った理由ではないので念のため(笑)
夜のライブ、そんなこと考えながら、
初っ端には滅多にやらない「国境なんてなければいいのに」という主旨の楽曲からやらかしたら、
なんだか肩に力が入っていた。
あぼ〜ん……。
写真は、おとといではなく、かおりさんが撮ってくれた2月の"Mele"
ま、オイラたちは、こんな感じの、
社会派です(笑)