バッドばつ丸

しつこいようだが、意味なく前期後期と2回になった本府公立高校入試。


本日は、後期試験「国語」の採点。


担当箇所を割り振って、採点に当たる。
さまざまな書き方あるだろうことが推測され、採点の基準決めに難渋しそうな問題に当たる。


と、思いきや、こちらの予想を超えて、


正答とはかけ離れた、頓で珍で漢な答案ばかり……。
5点問題の部分点を斟酌する以前に、ほとんどすべての答案が的外れ。0点のオンパレード。
ほぼ全滅……。


採点は楽だったけれど、


受験生の4人に3人は合格し、入学してくるわけで、
現任校、世間一般では「かなりできる」といわれる部類の高校なのですが、
その高校に入ってくるのは、文章読解能力、文章記述能力、古文理解能力、すべてにおいてすこぶる頼りない今の15歳。


思うに、


マニュアル世代とか、ゆとり世代と言われた時代を経てきた今の十代。
持って産まれた記憶力暗記力と、塾において必要最小限に的を絞った反復練習をこなすことで、できるできないに差が付いている。


音声言語であれ、文字言語であれ、他者の発するコトバを、自ら進んで聞き、受け取り、考えるということの積み重ねが少ない。
受験や入試とは直接関係のないところで、活字を読むということの積み重ねがない。
だから、学校や塾で習った以外の知識がほとんどない。


そして、


面倒なことを避けて生きて来ている。避けて生きられるような環境の中で、守られながら生きて来ている。
だから、いろんなことに関して、問題意識が低い。


逆に、面倒なことが避けられなかった者は同時に、勉強やら学習やらを落ち着いて出来る環境に恵まれていない場合が多い。


親の言うことであれ、親以外のオトナたちの言っていることであれ、周囲のやっていることであれ、世の中の流れや趨勢であれ、
「それって、おっかしーんとちゃうん?」という疑問を持ったり、その疑問について自ら答えを見出そうともがいて来た経験値が総じて低い。


そんな彼彼女らを3年後、
そこそこ、というか結構難易度の高いといわれる大学に合格できるように鍛えるのがオイラの仕事なのかと思うと、


前途多難……。


にしても、


今朝、目覚める直前に見た夢、


面倒だなぁ厄介だなぁと思いつつ、いざ採点に取りかかってみると、ぜんぜん的外れな答案ばかりで、
なんだこれ、ペケばっかじゃん。楽勝楽勝。


というものだったわけで、まさしく「予知夢」。


どーせ「予知夢」なら、次週の競馬の結果を教えろっつーの!(爆)